2月のある日、本屋で見かけて読みたいと思った。それは『「人間の眼」と「国家の眼」』という対立的考えと著者の経歴である。
著者品川正治(しながわまさじ)は、日本火災海上保険で社長、会長、経済同友会の副会長理事・専務理事まで務めた人である。残念ながら、この著作を世に出す前の昨年8月に89歳でお亡くなりになられた。
彼は「損保九条の会」を立ち上げ、「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会」(全国革新懇)の代表世話人を務め、新自由主義的な経済政策への批判や平和主義や護憲の立場からの発言や運動を行っていたらしい。「らしい」と書いたのは、私はつい最近まで知らなかったからである。
この本は二部構成からなる。
第一部は、著者が1948年に上原中学で教えた生徒への授業『日本の外交、政治、経済を見る「眼」—六五年後の「社会科授業」—』(2012年10月)、第二部は「損保九条の会」主催の四回の連続講座『「人間の眼」VS.「国家の眼」』(2008年8月〜2010年3月)である。
著者は一貫して「人間」という視点で外交、政治、経済を見つめている。
内容については、直接、本を読まれることをお勧めするが、以下の様な示唆的な事が書かれている。
・ 日本は、第二次世界大戦で行った事について、米ソに対しては、国民感情として“免罪符”を持っているが、アジアの人に対しては“免罪符”はなく、“贖罪”を感じなければいけない
・ 日米安保は日本の国益と言うよりはアメリカの国益になっている。金融資本が国家権力を握っている場合のアメリカの国益とは何なのかは良く考えるべきである
・ 日本では「政局」のみを「政治」として報道してきた。しかし、原発反対運動やオスプレイ配備反対に何万人もの人が集まるのが政治ではないか
・ リーマン・ショックの際に、AIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)が国家に救済されたのは、戦争保険を請け負っているからである
・ グローバリズムとは「アメリカ型の経済システム」=「アメリカが勝つための戦略用語」である
・ 日本の憲法九条は戦争を「人間の眼」で見ている。他の国は「国家の眼」で見ている。
「六〇年安保」で「戦争が出来る国」にしようとしていると感じ取ったりしながら、六〇年間、風雨にさらされながらも守ってきて、「「人間の眼」で見た憲法」に育て上げてきた
「六〇年安保」で「戦争が出来る国」にしようとしていると感じ取ったりしながら、六〇年間、風雨にさらされながらも守ってきて、「「人間の眼」で見た憲法」に育て上げてきた
・ 労働者に賃金を支払い、経済活動するのが資本主義の基本なのに、働く人たちの預貯金を、金利ゼロで企業に貸し、しかも企業はデリバティブという投機で利益をあげるのは、資本主義とは言えないのではないか
・ 経済を市場中心に考えてゆくことに関しては肯定的であるが、教育だとか医療だとか福祉、あるいは環境、農業は市場が決めるものではない
・ 「生産は人間、消費も人間」ということを哲学にしている。最低限、結婚し、家庭を持ち子どもを生む、それを育ててゆくという、ごく普通の当然の生活を維持することが経済であり、政治である。そのことが可能になる賃金でなければならない
・ マスコミは対米従属、超大企業従属を体質にしまっている。いわば反共という問題を基本的に軸にもっている。しかし、反共という論理でいろいろな問題を説明しても国民がついてこないので、今は無視という形をとっている。「九条の会」にしろ「革新懇の会」にしろ、何をしようと、そういうものに関しては、いっさい報道しないという態度になって表れている
まだまだあるが、抜き出したらきりがない。私はこれらの主張の殆どに共感する。
これらの主張は企業のトップとして勤めてきた人の経験に裏打ちされていて説得力がある。
しかし、財界の要人でもあった彼が、何故、最近になってこのような発言や活動を展開したかという事である。昔であれば「転向」と言われたのではないか?
この事に関して、彼は「あとがきに代えて」に以下の様に書いている。
この事に関して、彼は「あとがきに代えて」に以下の様に書いている。
・ 労組の専従を10年ほどやった
・ 労組をやると決めてから関西の労働学校に入って本格的に勉強し、たたかう組合の委員長として活動した
・ 全損保(全日本損害保険労働組合)というのは、総評加盟なども反対でもっと左だった
・ ところが会社が内紛からの不祥事件で事業免許を取り上げられてしまった
・ 労組が清算管理をやることになり経営を預かった
・ 沖縄の基地問題をどういうふうに見てゆくかということなどは60年前から考えていた
彼としては一貫しているらしい。