1969年頃の仙台を舞台にしているというので、今年公開されるとすぐに、この作品の映画を見た。しかし、何を主題にしているのかはっきりしない映画だった。では原作はどうかと読んでみた。映画を見てから原作を見るのが良いのか、原作を読んでから映画を見るのが良いのか、小説と映画はそれぞれ独立した作品なのだから、比較してはいけないものなのか、色々議論はあるだろう。しかし、小説も映画同様、テンポの良いものではなかった。
小池真理子の小説を読んだのは初めてであるから、この作品の書きっぷりが、他の作品とどのように違うかは分からない。
著者は、”あとがきにかえて”で、以下のように書いている。
「本書には大それたテーマは何もない。時代の総括などということも、頭から考えなかった。私はただひたすら、かつての自分を思い出し、かつての自分をモデルとして使いながら、時代をセンチメンタルに料理し、味わってみようと試みた。」
確かに、著者の書いているように仕上がっている。
ジュリーとレイ子にはモデルがいるが、その他の登場人物は著者の想像の産物であるとも書いている。それが本当かどうかは分からないが、信用するしかないだろう。少なからず、彼女の見聞を基にはしているだろうが。
バロック喫茶「無伴奏」以外に、「嵯加露府(サカロフ)」というケーキ屋(洋菓子店)の名前が出てきて、懐かしく感じた。貧乏学生であった私は、学寮近くのケーキ屋で済ませる事が多かったが、名前を記憶しているということは、少なからずお世話になったのかも知れない。
いずれにしても、映画を見てストーリーが分かっていたせいもあるが、この作品に盛り上がりは感じられなかった。かろうじて、響子がバー「勢津子」を訪れて二人で話す、終章に緊張感を感じた。映画の最初か、最後にこの場面があったかどうか、忘れてしまったが、この部分を広げてストーリーを作ったならば、もっと締まった映画になったような気がしてならない。