2018年9月15日土曜日

大江健三郎 柄谷行人 全対話(2018年、講談社発行)


 この本を、書店で見つけた時にその組み合わせにビックリした。と同時に、読みたいと思った。二人の良き読者ではない私だが、昔から、その著作と動向に注目していた二人が対話する。
 リベラルで通っている大江と若き頃旧ブントであった柄谷の組み合わせは、1970年台前半のイメージからすると奇妙ではあるが、大江はより党派的(狭め)に、柄谷はより非党派的(広め)になったことを考えれば、対話しても不思議な感じはない。もっとも、ここに載っている三つの対話は1994年、95年、96年になされたものである。
 大江は、その頃であったか断筆宣言をして、再開はしたが、今はもう余り物を書かなくなっているが、「全小説」の発行も始まり、そういった点からも注目されている(病気のようでもあり、うがった見方をすれば、終焉が近いということか)。
 柄谷は、未だ精力的に活動をしており、年々、一般人に注目されるようになってきているように感じられる。

 本題に入ろう。内容は、次の四部からなる。
「大江健三郎氏と私」(柄谷行人書き下ろし)
「中野重治のエチカ」(1994年) 「戦後の文学の認識と方法」(1996年)
「世界と日本と日本人」(1995年)

 「中野・・・」は、転向論ではない。中野の「ちょっとの違いへのこだわり」についてである。二人とも、中野は物事を細部から組み立てていく、という。20ページにある、大江の「細部の観察から少しずつ論理を展開していく、(中略)ついには、きわめて大きいものを組み立てていく。」という、中野の論理の組み方への言及がこの対談の骨子である。
 「戦後の文学・・・」は、”普遍”という概念を軸として、哲学と文学を論じている戦後文学は、普遍的な要素を持っていたという。戦後文学の作家として、野間宏、大岡昇平、武田泰淳、堀田善衛などの名前が挙げられる。しかし、日本の文学は、世界では美的対象でしか評価されていないという。三島由紀夫がその代表で、安部公房は、日本から遠ざかった位置で評価されているという。大江は、「本当に文学が必要で意味ある時代に自分が引っかかっていた、それを信じて作家活動をしていたのは、『万延元年のフットボール』のころで終わりじゃなかっただろうかという気持ちがあります。」と、述べる。柄谷は、「それは、大江個人にとってだけではなく、ある意味、万延以来の日本の近代のある種の総決算だったんじゃないかと思う」、と述べている。哲学論は、スピノザやカントを中心に展開される。
 「世界と日本・・・」は、大江の『あいまいな日本の私』から、ambivalent(両価)とambiguous(両義)の違いを中心に展開する。柄谷は、「我々の感情は、ほとんど常に両義的だ。(中略)常に二つの対立的な価値になるものが共存している状態だと思う。ambivalentな態度とは、それをクリアにしようとする、一つの方に決めてしまうことだ」という。大江も柄谷も、ambiguous(両義)な態度を評価する。
 ”普遍”と”日本の文学”については、上記二つの対談に共通している話題のように思える。

 教養レベルの高い人同士の話で、現代の外国の哲学者や批評家の名前が何の説明もなく出てくる(脚注はある)。私は彼らを知らず、話についていけない部分も多い。
 しかし、哲学も文学も生活に根ざしていて、日常の生き方を表現しているのではないか、と思う時、全てを理解しなくても自分を少しだけでも高いところに連れていってくれるのではないかと思う。
 そういう考えで、いつも背伸びして生きてきた。しかし、理解できていないのに、本当に役に立ったのかと思うこの頃ではある。でもこれが、私の生き方であり、これからも信じて生きていくしかないし、信じて生きていくだろう、と思う。