2020年9月21日月曜日

第163回(令和二年上半期)芥川賞受賞作 高山羽根子「首里の馬」


 どうやら今回は、順調に高山と遠野の二作に決まったらしい。”らしい”、というのは、選評をざっとしか見ていないからだ。以前は詳しく読んだりしていたのだが、選から漏れた作品が載っておらず内容をチェックできないので、選評を読んでも充分には理解できないからだ。なぜ受賞した作についての選評だけではなく、最終選考に残った5作すべてについての評価を載せるのだろうか。載せるのであれば、それら作品も掲載すべきだと思うのは私だけだろうか?
(閑話休題)
 あらすじ、と言えるほどのものではないが、下記のような内容である。
 資料館でのデータ整理、クイズを出す仕事、台風で庭に迷い込んだ宮古馬についてのエピソードが並列に綴られる。しかし、これらの間の結びつきは何も感じられない。選者の平野啓一郎もその点を指摘している。
 小説は論文とは違うので、読者がいかようにでも解釈して良いのだが、どうも最近の作品には作者が何を書きたかったのかわからないものが多い。この作品もそうである(遠野の作品についても、そうであるが)。昔の小説を読むように、処世術を学ぼうというつもりはない。しかし、作家が何を訴えたいかは知りたい。
 選者の吉田修一は次のように言っている。”候補に挙がってくるたび、作品は面白いのに、この作者が何を書きたいのか分からず首を捻っていましたs。今作ではその何かがくっきりとしたような気がします。高山さんはおそらく「孤独な場所」というものが一体どんな場所なのか、その正体を、手を替え品を替え、執拗に真剣に、暴こうとする作家なのだと思います。”
 主人公がクイズを出す相手が居るのは、空の上(宇宙)だったり、海の底だったり、戦地で捕らえた敵を閉じ込めておくシェルターの中であったりする。 相手が勝手に話したことなので、それが本当かは分からないが、たしかに孤独な場所ではある。彼らは、そこで淡々と過ごしているさまが感じられる。吉田が言いたかったのは、こんな単純な話ではないだろうが、その一端ではあるだろう。
 川上弘美は、この作品を一押しした(○をつけた)らしい。理由は、”静かな絶望と、その絶望に浸るまいという意志に、感じ入りました。”、と書いている。
 奥泉光は、”孤独なもの、孤立したものへの愛惜を、リアリズムを基本に、そこからはややずれた虚構でもって描いた一篇で、世界のあらゆる事象が、どんなにつまらなく見えるものであれ、かならず存在の痕跡を残すのだとの思いが細部から匂い立つ。”、と受賞作にふさわしい佳篇だと評価している。
 こんな事柄を表わす場所として作者は沖縄の首里を選んだ。先の戦争で、自分たちが住んでいた土地を更地のようにされてしまった沖縄。祖国から見放され、今も米国の植民地のように自由に使用されてしまっている沖縄。毎年何度も台風に襲われ被害を受けても立ち上がる沖縄。失われたものが多くても、あったという存在が全くなくなるわけではない。それを意識して作者は沖縄という場所を選んだのか?それは彼女に訊かないとわからない。いずれにしても、読者の興味を引きつける作品であることは間違いない。一読に値する作品だと思う。
<あらすじ>(AMAZONから) 
 沖縄の古びた郷土資料館に眠る数多の記録。中学生の頃から資料の整理を手伝っている未名子は、世界の果ての遠く隔たった場所にいるひとたちにオンライン通話でクイズを出題するオペレーターの仕事をしていた。ある台風の夜、幻の宮古馬が庭に迷いこんできて……。世界が変貌し続ける今、しずかな祈りが切実に胸にせまる感動作。