本屋に行くと読みたくなる本を見つけてしまう(笑)ので、できるだけ本屋には行かないようにしていたのだが、最近はまた、スポーツジムの帰りに行くようになってしまった。ひと月以上前の事になるだろうか、文庫の棚で西部邁の「六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー」(文春学藝ライブラリー)という本を見つけてしまった(笑)。
目次を見ると、第一章から第六章までは、6名の著名人(篠田邦雄氏は知らなかったが)の名前が書かれている。面白そうだと思って、すぐに図書館に貸出予約を入れた。西部氏が、ちょうど自殺で世間を騒がせていた頃だ。西部氏については、60年安保の指導者で、その後、経済学者となった保守の論客という事は知ってはいたが、これまで一つの著作も読んではいなかった。
本屋で見たのは今年6月に発行された文庫だが、私が図書館で借りたのは、昭和61年(1986年)10月発行のその元になる単行本。内容に差異はないと思う(これ以外に、洋泉社が2007年6月に発行した新書〈MC新書 17〉があるらしい)。
結論から言うと、西部氏が真面目に書いたとは思えない内容で、皆様にお勧めできるような本ではない。
期待していたのは、何らかの思想的な自己批判があるとのではないか、と言うことなのだが、思想的な内容は、わずかに長崎浩の章に見られるくらいだろうか?それも、長崎浩が述べていることが、一般人の我々では理解しにくい内容なので、西部氏の考えもそれと裏腹で同じだ言われても、それも理解できない。
そも、西部氏は、序章において、「ブントにかんする政治的評価などは私の本当の関心事ではないのだ」、「自分のかかわったかぎりでのブントについて語ろうとしているのであり、またそれしか語れないのである」と言い切っている。その通りに、唐牛健太郎、篠田邦雄、東原吉伸、島成郎、森田実の章では、彼我の交流を主にした面白おかしい話しが記されているだけである。
散見するのは、とても運動の先頭に立っていた人とは思えない感慨である。例えば、「マルクス主義が何であるかを知らずに、またそれを知るための暇もなしに、共産主義者同盟のアジテーターになっていた。獄舎に入ってから、さて自分の主義の実態はと、あれこれ文献を読みすすんでみると、それらは私の肌に合わぬ衣装であり、腹に収まらぬ食物だと思わないわけには行かなかった。」。これを読んで、無責任極まりないと思わないではいられない。
直截的な表現ではなかったかも知れないが、ブントの寄って立つところは、共産党と闘う事であったらしい。少なくとも西部氏はそう思っていたし、現実に駒場のブントは、そう行動したらしい。
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