2020年7月13日月曜日

金原ひとみ 著(初エッセイ)「パリの砂漠、東京の蜃気楼」

 
 

 初めて読んだ金原ひとみの作品は、芥川賞を受賞し雑誌に掲載された「蛇にピアス」であった。綿谷りさの「蹴りたい背中」とのダブル受賞であったが、金原の作品に興味を持った。読んだときの印象は、もう覚えていない。その後、映画を観た時、かなりの衝撃を受けた。この作品の印象から、多作になるとは思えなかったが、その後、順調に作品を出している。むしろ、綿谷をはじめとした同年代の作家に比べれば、圧倒的に多い方だろう。
 今回、このエッセイを読んで、多作の理由が分かった。彼女にとって、生きづらい社会からの救いは書く事と恋愛だと言う。
 この作品が初めてのエッセイという。ウェブ連載だったからだろうが、同じようなイメージの内容が繰り返される。やっつけ仕事だったからかも知れない。この作品の中に、締切りに追われる彼女の姿が描かれている。
 内容は、友達との会食、といっても主に痛飲であり、会話は相手の愚痴で、主に不倫の話。そして、金原自身のこの社会での生き辛さが語られる。
 作家が書くエッセイの全てが実生活だと言えるのだろうか?虚もあるだろう。別に実でなくても面白ければ良いのだから。しかし、この作品は、ほとんど実のような気がする。彼女の小説よりも人間が表されているからだ。書いていないことはあるだろうが、嘘は書いていないような気がする。
 彼女の書く小説が好きでよく読むが、彼女の住んでいる世界には馴染めない。性や年齢の違いもあるが、自分を虐めすぎる性格にもよる。特にこのエッセイは、読んでいて辛かった。付箋を付けたところが、添付のように8カ所もあった。
 彼女には、自ら死なないで欲しいと思う。でも最後のページに、「この十年で自分から死ぬことを考えなくなった。」、と書かれていたので安心した。しかし、その後に、「でも夫に殺されたいと願うことが増えた。」、と書かれているのには唖然とした。でも、このエッセイに書かれているように、小説と恋愛があれば、生き続けるだろう。

朝日新聞・読書好日:乖離の中に存在する自分 






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