なかなか面白かった。淀みなく読めた。
しかし、こんな設定があるんだろうか。男は下調べしていて、主人公である高校生を待っていたのだろう。そんな罠に主人公はハマってしまう。次第に謎の文書を手に入れるための共犯者のようになってしまう。
設定やストーリーがどうであっても問題にはならない。余程ありえない事であれば別だが。そして論文ではないので、解釈は自由だ。無理にあれやこれや考える必要もなく、理屈抜きに、面白おかしく読んでもいい。もちろん、私などは高齢者になっても評論家のように深い読みができるわけではなく、上滑りな読みしかできない。
知ることは楽しい。ましてや知識と知識がぶつかり合うのはスリリングとも言える。主人公と男の会話は読んでいて楽しい。それだけでこの作品には価値がある。
まして、今の流れにあった作風であれば。今の流れはリズムある語り、小さな物語り、独特な書き方である。この作品は、これらをすべて持っている。時間があるなら、是非、お読みいただきたい。
しかし、こんな設定があるんだろうか。男は下調べしていて、主人公である高校生を待っていたのだろう。そんな罠に主人公はハマってしまう。次第に謎の文書を手に入れるための共犯者のようになってしまう。
設定やストーリーがどうであっても問題にはならない。余程ありえない事であれば別だが。そして論文ではないので、解釈は自由だ。無理にあれやこれや考える必要もなく、理屈抜きに、面白おかしく読んでもいい。もちろん、私などは高齢者になっても評論家のように深い読みができるわけではなく、上滑りな読みしかできない。
知ることは楽しい。ましてや知識と知識がぶつかり合うのはスリリングとも言える。主人公と男の会話は読んでいて楽しい。それだけでこの作品には価値がある。
まして、今の流れにあった作風であれば。今の流れはリズムある語り、小さな物語り、独特な書き方である。この作品は、これらをすべて持っている。時間があるなら、是非、お読みいただきたい。
朝⽇新聞 好書好日2022年01月29日掲載
評者: 江南亜美子
知識欲に突き動かされ、熱狂の時を過ごす一人の高校生の姿を通し、学ぶことの面白さを大いに喧伝(けんでん)してみせるのが本書である。
栃木県にある皆川城址(じょうし)で、地元の高校の歴史研究部に所属するぼくは、大阪弁を喋(しゃべ)る30代とおぼしき男と出あう。歴史に造詣(ぞうけい)が深く、明治期の地誌の下書きや当地の旧名家の蔵書目録に並ならぬ関心を示すその男は、どこか胡散(うさん)くさくて一筋縄ではいかなそう。しかし博識ぶりは本物で、それに魅了されたぼくは、ある書物についての調査に協力することになる。
小津久足著「皆のあらばしり」。小津安二郎の遠縁、久足によるものと目録に記載はあるが、その他のどこにも記録のない本は実在するのか。新発見もしくは偽書か。男とぼくは、探偵とその見習いのように、幻の本の真相に迫っていく。
スリリングなのは、濃密な会話劇で物語が進む点だ。素数の日の木曜ごとに2人が待ち合わせる城址公園は、螺旋状(らせんじょう)の曲輪(くるわ)を持ち、道行く人の姿をふいに見失わせる構造となっている。憧れと疑心の間で揺れつつ、素性も狙いもなかなか明かさぬ男にぼくは食らいつき、対話を重ねる。そして自分の有用性を認めさせるべく秘策を繰り出すのだ。
「騙(だま)すということは、騙されていることに気付いていない人間の相手をするということだ」。これは物語最終盤の男の言だが、騙し騙される関係に、おのずと読者も巻き込まれるだろう。
ぼくが圧倒されるのは男の知識量である。神社の手水鉢(ちょうずばち)の石の種類まで言い当てられ驚きを隠せないぼくに、男は「学ぶうちに知らなあかんことが無限に出てくんねん」とうそぶく。知識は世界に対する認識の解像度を上げる。歴史の深掘りは、人々の連綿たる営みの上にある現在を知ることだ。人文学の意義が問われるいま、本書のメッセージは真理の光となる。マウントでなく、知性で結びつく対等な関係。ぼくの憧れは私たちの憧れでもある。
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