2015年8月26日水曜日

古市憲寿 著「誰も戦争を教えてくれなかった」

 2011年のお正月に、著者はハワイでパールハーバー(アリゾナ・メモリアル)を訪問する。「その博物館は、とても「爽やか」で「楽しい」ものだった。」
 では、他の国では、他の場所では、戦争はどのように記憶されているのだろう。そんな素朴な気持ちで博物館巡りが始まる。戦争博物館へ行けば、その国が戦争をどのように考え、それをどう記憶しているのかを知ることができる。訪れた国の「国家観」や「戦争観」を、展示を見ながら感じることができる、と著者は考えた。
 そこで、2011年1月から2013年4月の間に47の「戦争博物館」を訪れた。中国の南京大虐殺紀念館、長春の偽満皇宮博物館、シンガポールのシロソ要塞、香港の海事博物館、ポーランドのアウシュビッツ、ベルリンのユダヤ博物館、ローマの解放歴史博物館、韓国の独立紀念館、戦争記念館、そして広島、沖縄などだ。
 
 著者が興味を持ったのは、戦争そのものではなかった。なぜそれでも、日本人は「戦争」を選んだのか、日本軍が敗れた失敗の本質はどこにあったのか、どうして敗戦を抱きしめなくてはならなかったのか。それらのテーマは、著者の関心の中心ではなかった。著者は史実そのものではなくて、「戦争の残し方」の違いに心を惹かれた、と言う。
 歴史を扱う博物館は。決して死物の貯蔵庫ではない、歴史の再審のたびに展示内容が書き換えられ、その表現が変わる、生きた「現在」の場である、と言う。だから、いま国家がどのように戦争を残したいのかが見えてくる、と言う。

 しかし、この本の博物館のレビューに大きな期待を抱いてはいけない。そもそもこの本のためだけに現地を訪れたわけではないものがかなりあるらしい。展示が説明されているのは限られたいくつかの博物館だ。そして、著者の立場は、戦後+40で生まれた若者である。戦争のことは殆ど知らないという立場から、反戦(厭戦)でもなく、もちろん好戦でもなく、フラットに、いかに展示がうまく見せられているかを説明することに終始している。新しい技術を使用して、若者や子供たち、つまりこれからの時代の中心になる者たちが、「楽しく」展示を見ていけるかに(いかにエンターテインとメント性を持たせているかに)着目する。一方、矛盾するようだが、新しい技術はいずれ古びてしまうので、アウシュビッツのように「場の力」に頼ることが良いとも述べる。

 また一方では、「歴史に関する博物館を作ること。教科書を作ること。それは、ある時代を「大きな記憶」として次の世代へ継承することである。いくら両論併記しようと、たとえ中立的な記述を心がけようと、設計者や製作者は何かを選び、何かを捨てて歴史を記述せざるを得ない。だけど本当は、経験者の数だけ、いやそれ以上に「戦争」の姿がある。(中略)そうした数えきれないくらいの「小さな記憶」が取捨選択され、「大きな記憶」が紡がれる。平和博物館とは、まさに「小さな記憶」を拾い集めて、「大きな記憶」として次の時代へ残していく試みに他ならない。しかし、「小さな記憶」同士は往々にして食い違うこともあるだろうし、そうして集められた「大きな記憶」同士も時にぶつかり合う。そもそも「小さな記憶」を素直に拾い集め、つなげたところで、それがそのまま「大きな記憶」になるわけではない。(後略)」、と戦争(平和)博物館を否定する。

 第二次世界大戦は70年前に終結した。その後、主権国家同士の戦争(大きな戦争)が減少する一方、今でも世界各地では内線や部族間の紛争、テロなどの「小さな戦争」が続いている。
 防衛の担い手も国家による正規軍から民間の委託業者に移行しつつあり、戦闘もロボットや無人機などによるものが増えつつある。そんな中で、70年前に終った「古い戦争」の記憶を展示し、悲惨さを訴えることが、かえって現代の「小さな戦争」に対する想像力を奪うことにつながるかも知れない、と言う。
 ここでも現在の戦争(平和)博物館を否定している。
 
 結局、著者は何を言いたいのだろうか?

 もう70年前の「大きな戦争」の「大きな記憶」を残しても、平和にはつながらない。むしろ、「小さな記憶」を語り継ぎ、引き継ぐことの方が、これから起こる「小さな戦争」を防ぐ力になるのではないかと言いたいのではないだろうか?

2015年8月18日火曜日

金原ひとみ著「持たざる者」(2)

 私は、この小説で著者が訴えたかったことではないかと思われる部分に付箋をしていた。
 前の投稿で私が書いたことと食い違っているかも知れないが、以下に引用する。単行本の140ページ(「eri」の章)、エリカがロンドン生活でふと現在の心境を語る部分だ。

『(前略)そうして震災から一年が過ぎた頃、私はふと、唯一無二の存在だったと思っていた自分自身が、いつからか多数の人々に埋もれる一つの点になっている事に気がついた。元々、私は点だったはずだ。自分は唯一無二であるという私の幻想、思い込みが打ち砕かれただけだ。でも幻想という無味無臭無形の物を打ち砕かれたくらい何だ、とは思えなかった。震災よりも原発事故よりも移住よりも言葉の通じない生活よりも、私にとって最も辛かったのは自分自身やセイラ、そして自分自身を取り巻く環境を唯一無二と思えなくなった事だった。自分を唯一無二と思うその幻想は、余裕の象徴なのかも知れない。例えば裸族や戦争中の国に中二病や引きこもりがいないように、自我の病はある一定の水準を満たした環境に於いてのみ発症する。私は自我の病を、自分が唯一無二の存在であるという思い込みを、この異国の地で喪失した。それがとてつもなく辛かった。私が直面したのは、既に震災でも原発事故でも放射能でもなく、それによって浮き彫りになった己の本来性の問題だった、。私は、埋もれる点として生きていく事の難しさに直面していた。これまで生きてきた世界とは、何もかもが違っていた。生の価値も、死の価値も、愛の価値も、祈りの価値も、全てがこれまでとは違っていた。その事に気づいたのは、こんな世界で生きていけないと悲観するほど早くはなく、大丈夫これまでもうまくやってきたんだから、と楽観するほど遅くもなかった。』


 ここでは、自我の喪失に直面し、どう生きていくかに迷うエリカの姿が描かれている。

2015年8月17日月曜日

金原ひとみ著「持たざる者」

 この作品は、四人の物語からなる。
 第一章Shuは、グラフィックデザイナー修人の物語。3.11震災後、妻子への放射能汚染を恐れ、遠隔地に避難させようとして、妻との中がうまくいかなくなり離婚。仕事もできなくなる。
 第二章Chi-zuは、夫の赴任先のシンガポールから一時帰国している修人の友人の千鶴の物語。子供の頃から、自分の生きたいように生きている妹のエリカに嫉妬してきた。数年前にパリで幼い息子を突然死でなくし、全ての欲望から解放され、見放されている。修人を誘い、行きずりのセックスをする。
 第三章eriは、千鶴の妹で娘とともに被爆を畏れてロンドンに移住しているエリカの物語。自由に暮して来たつもりが、常に孤立していた事を自覚する。ベルギー人の若者と出会い、アメリカへの更なる移住を決意する。
 第四章朱里(あかり)は、エリカと顔見知りで、夫の異動で日本に帰国する朱里の物語。ロンドンが性に合わず、喜んで夫より先に帰国するが、自宅が義兄夫婦に乗っ取られていて大きなストレスを感じる。

 これは、著者が3.11震災で受けた衝撃と経験した移住生活を基に書かれたのは間違いないが、震災や原発問題について書いた作品ではない自然災害や人間関係(生活環境)に依って大きな影響を受け、自分ではどうにもできない現実に曝される人たちの物語である。彼らは、生きる力を失いそうになったりするが、それでも何らかの力を得て生き続けようとする。これは、人間というものが必ず出会う、自然や他者とのコミュニケーションを問う物語である。だからこそ、そこに普遍的な物語がある。どんな人間だって、悩み、傷つきながらも、希望を持って生きる事を望んでいる筈だ。そんな希望が絶たれる事のない世界を私は望む。


 金原ひとみの作品としては、肩が凝らずにスムーズに読む事ができる作品であり、お勧めである。著者は、「修人とエリナは、震災の影響を受けて特殊な環境に身を置くことになった人たちですが、朱里はちがう。彼女のような、下世話で通俗性を持った人間も書いておくことで、この作品はバランスがとれた気がしています。」、と言っているが、私は「朱里」の章には違和感を感じた。漢字(「朱里」)で章題がつけられているように、他の3つの章とは趣きが違い過ぎるのではないか?