では、他の国では、他の場所では、戦争はどのように記憶されているのだろう。そんな素朴な気持ちで博物館巡りが始まる。戦争博物館へ行けば、その国が戦争をどのように考え、それをどう記憶しているのかを知ることができる。訪れた国の「国家観」や「戦争観」を、展示を見ながら感じることができる、と著者は考えた。
そこで、2011年1月から2013年4月の間に47の「戦争博物館」を訪れた。中国の南京大虐殺紀念館、長春の偽満皇宮博物館、シンガポールのシロソ要塞、香港の海事博物館、ポーランドのアウシュビッツ、ベルリンのユダヤ博物館、ローマの解放歴史博物館、韓国の独立紀念館、戦争記念館、そして広島、沖縄などだ。
著者が興味を持ったのは、戦争そのものではなかった。なぜそれでも、日本人は「戦争」を選んだのか、日本軍が敗れた失敗の本質はどこにあったのか、どうして敗戦を抱きしめなくてはならなかったのか。それらのテーマは、著者の関心の中心ではなかった。著者は史実そのものではなくて、「戦争の残し方」の違いに心を惹かれた、と言う。
歴史を扱う博物館は。決して死物の貯蔵庫ではない、歴史の再審のたびに展示内容が書き換えられ、その表現が変わる、生きた「現在」の場である、と言う。だから、いま国家がどのように戦争を残したいのかが見えてくる、と言う。
しかし、この本の博物館のレビューに大きな期待を抱いてはいけない。そもそもこの本のためだけに現地を訪れたわけではないものがかなりあるらしい。展示が説明されているのは限られたいくつかの博物館だ。そして、著者の立場は、戦後+40で生まれた若者である。戦争のことは殆ど知らないという立場から、反戦(厭戦)でもなく、もちろん好戦でもなく、フラットに、いかに展示がうまく見せられているかを説明することに終始している。新しい技術を使用して、若者や子供たち、つまりこれからの時代の中心になる者たちが、「楽しく」展示を見ていけるかに(いかにエンターテインとメント性を持たせているかに)着目する。一方、矛盾するようだが、新しい技術はいずれ古びてしまうので、アウシュビッツのように「場の力」に頼ることが良いとも述べる。
また一方では、「歴史に関する博物館を作ること。教科書を作ること。それは、ある時代を「大きな記憶」として次の世代へ継承することである。いくら両論併記しようと、たとえ中立的な記述を心がけようと、設計者や製作者は何かを選び、何かを捨てて歴史を記述せざるを得ない。だけど本当は、経験者の数だけ、いやそれ以上に「戦争」の姿がある。(中略)そうした数えきれないくらいの「小さな記憶」が取捨選択され、「大きな記憶」が紡がれる。平和博物館とは、まさに「小さな記憶」を拾い集めて、「大きな記憶」として次の時代へ残していく試みに他ならない。しかし、「小さな記憶」同士は往々にして食い違うこともあるだろうし、そうして集められた「大きな記憶」同士も時にぶつかり合う。そもそも「小さな記憶」を素直に拾い集め、つなげたところで、それがそのまま「大きな記憶」になるわけではない。(後略)」、と戦争(平和)博物館を否定する。
第二次世界大戦は70年前に終結した。その後、主権国家同士の戦争(大きな戦争)が減少する一方、今でも世界各地では内線や部族間の紛争、テロなどの「小さな戦争」が続いている。
防衛の担い手も国家による正規軍から民間の委託業者に移行しつつあり、戦闘もロボットや無人機などによるものが増えつつある。そんな中で、70年前に終った「古い戦争」の記憶を展示し、悲惨さを訴えることが、かえって現代の「小さな戦争」に対する想像力を奪うことにつながるかも知れない、と言う。
ここでも現在の戦争(平和)博物館を否定している。
結局、著者は何を言いたいのだろうか?
もう70年前の「大きな戦争」の「大きな記憶」を残しても、平和にはつながらない。むしろ、「小さな記憶」を語り継ぎ、引き継ぐことの方が、これから起こる「小さな戦争」を防ぐ力になるのではないかと言いたいのではないだろうか?