2016年5月11日水曜日

山田清機著「東京湾岸畸人伝」

 朝日新聞の神奈川版だったと思うが、この本が紹介されており、その解説に興味を持ったので図書館で借りて読んだ。
 朝日新聞に載った影響は大きい。借りるまで暫く待たされたばかりでなく、私の後にも未だ26人が待っている。
 私の場合、今となっては、解説のどんなところに興味を持ったのか、はっきりとは覚えていないが、たしか馬堀海岸の能面師と久里浜医療センターのアル中患者について書かれていることに興味を持ったのではないかと思う。場所が自分の住んでいるところに近いからだ。
 6つの話しがあり、いずれもスムーズに読めた。それは話しが面白いという事よりは、それだけ難しい話しではないという事だ。この本の目的が、もともと体系だった、知識を植え付けるレポートではないのだから、当然かも知れない。気楽に読む本なのだ。
 著者山田清機という人は、聞き取りした人の話だけではなく、どうも、その人にまつわる事柄の基本的な説明(知識)を交える書き方をするらしい。6つの話しの概要と解説事項は以下の通りだ。私には、やはり、第三話「馬堀海岸の能面師」が面白かった
第一話「築地のヒール」
 築地・仲卸「石司」の番頭、中島正之の話。(解説)築地の仲卸の役割
第二話「横浜、最後の沖仲仕」
 藤木組の創始者、藤木幸太郎のの話。(解説)港湾労働者の仕事
第三話「馬堀海岸の能面師」
 教師から能面師になった南波寿好の話。
 (解説)佐藤さとるの童話「誰も知らない小さな国」、革マル派と中核派の関係、
     能面の種類
第四話「木更津の悪人」
 證誠寺(しょうじょうじ)の前住職・隆克朗の話。
 (解説)著者が新卒で入社し、実習した新日鐵・君津製鉄所の仕事
第五話「久里浜病院のとっぽいひと」
 アルコール依存症患者
 (元モス・アドバタイジングのデザイナー兼アートディレクター)荒井晴熙の話。
 (解説)ペリー来航、海軍野比病院、
     厚木航空隊司令・小園安名大佐の終戦時行動、水際特攻「伏龍」
第六話「羽田、夢見る老漁師」
 太田漁協・シジミ会会長・伊東俊次の話。
 (解説)川崎・ガス橋、羽田周辺風景、漁法

2016年5月4日水曜日

ジュンパ・ラヒリ 著「べつの言葉で」

 ジュンパ・ラヒリは、短篇小説でも長篇小説でも読者の心を惹きつける類い稀なる現代の作家(女性)である。
 私は映画「その名にちなんで」を見て、その原作者として知った。その後、映画の原作、短篇集「停電の夜に」、長篇小説「低地」を読み、その魅力に惹きつけられた。
 イギリスで生まれ、3歳の時からアメリカに住んでいたラヒリは、英語で書いてきたアメリカの作家だ。その彼女が2012年にローマに移り住み、イタリア語で書き始めた。そのことを新潮社の定期刊行物「波」で知ったとき、奇異に感じた。慣れ親しんだ言葉を捨てて、別の言葉に走るなんて事にどんな意味があるのだろうかと。
 この彼女の初めてのエッセイ集「べつの言葉で」は、イタリア語を習得する過程と苦悩を、雑誌に連載した、いわば(毎週一章ずつ書いた)記録である。又、「取り違え」と「薄暗がり」の掌篇二作も併せて収録されている。
 記録だからなのか、彼女のイタリア語で書いた文章がそうであったからなのか、翻訳の問題なのか、この作品には、いつもの小説のような躍動感は感じられない。とても残念である。それでも、あるいは、それだからこそ、彼女の苦闘や苦悩に胸を打たれる。
 なぜ彼女がイタリア語で書こうとしたのか、それは父母が話す”母”とも言える「ベンガル語」にも、生まれ育ってからずっと使い続けてきた”継母”とも言える「英語」にも違和感を持ってきたからだ。この作品には、そのことを基点に、「書くこと」や「言語(言葉)」、「文化」、「祖国」、「原点」、「空白」などが語られている。
 まず、扉には「…わたしには違う言語が必要だった。情愛と省察の場である言語が」という、アントニオ・タブッキの言葉が置かれている。
 ”壊れやすい仮小屋”という章では、「また、なぜわたしは書くのか?」という自問に対して、「存在の謎を探るため。(中略)わたしを反応させるあらゆることを理解したければ、それを言葉にする必要がある。ものを書くことはわたしにとって、人生を消化し、秩序立てるただ一つの方法なのだ。(中略)わたしは書くことを通してすべてを読み取ろうとするから、わたしにとってイタリア語で書くことは、言語を習得するためのもっとも深く刺激的な方法だ、というだけの事だろう。(中略)わたしには祖国も特定の文化もない。もし書かなかったら、言葉を使う仕事をしなかったら、地上に存在していると感じられないだろう。」と答える。
 ”二度目の亡命”という章では、「 ある特定の場所に属していない者は、 実はどこにも帰ることができない。 亡命と帰還という概念は、当然その原点となる祖国を必要とする。祖国も真の母国語も持たないわたしは、世界を、そして机の上をさまよっている。」と書く。
 また、”三角形”という章では、「イタリア語を勉強するのは、わたしの人生における英語とベンガル語における長い対立から逃れることだと思う。母も継母も拒否すること。自立した道だ。」、と言い切る。
 ”変身”という章では、ローマの友人からのメールの言葉に勇気づけられたとして、「新しい言語は新しい人生のようなのもので、文法とシンタックスがあなたを作り変えてくれます。別の論理、別の感覚の中にすっと入り込んで下さい」を引いている。
 そして、「芸術の力と言うのは、わたしたちを目覚めさせ、徹底的に衝撃を与え、変化させる力だと思う。」、と力強く述べる。