2017年3月31日金曜日

井家上隆幸著「三一新書の時代(出版人に聞く16)」(論創社、2014年発行)

 どの世代までなら三一新書を覚えているだろうか?というのも、現在、三一新書を見かけないからだ。
 実は発行元の三一書房では、1998年夏から長期労働争議があり、2011年に生まれ変わった。
 従って、それまで発行されていた新書は、今は店頭にはない。同社のホームページに掲げられている新書は、いずれも2011年発行のものだけである。
 まあ、それはともかく、人々が記憶している三一新書は、その年齢によって内容が違うだろう。
 五味川純平の「人間の條件」は、第一部が発行されたのが1956年で、第六部で完結したのが1958年だから、今から約60年前になる。この頃10代後半からそれ以上であったとするならば、70代以上の人になるだろう。もちろん、1960年代、70年代に読んだ人もいるだろう。その人たちでも、多分、60代以上になっているだろう。
 五味川純平の著作は、三一書房から出版されたものが多いが、新書として記憶に残っているのは「自由との約束」(全6部、1958~60年)、孤独の賭け(全3部、1962~63年)、「戦争と人間」(全18巻、1965~82年)ぐらいだ。「戦争と人間」を読んだという人は60代以上が多いだろう。
 三一書房の編集者には、最初の頃は日本共産党の党員あるいはその支持者が多かったらしい。しかし、次第に党から離れ構造改革派に近寄り、一時は長洲一二など構造改革派のメンバーも多く出したらしい(新書No.272及び273「日本社会党」上下の著者である笹田繁は安東仁兵衛のペンネームであるという)。その後、新左翼に接近し、東大全共闘編の「果てしなき進撃」、秋田明大ほかの著作「大学占拠の思想」などの出版が続いた時期もある。これらを覚えているのも60代以上だろう。
 日本消費者連盟編著の「あぶない化粧品」や「不良商品一覧表」、「合成洗剤はもういらない」、郡司篤孝の「危険な食品」などの企業告発(?)物を覚えているのは、50代以上だろうか?
 こう見てくると、三一新書を覚えているのは、かなりの年齢になっていると言えるだろう。ただ、そのインパクトは結構あったような気がする。
 この本に書かれていることで付け加えると、女性問題(?)に関するものも出しているという。石垣綾子の「女のよろこび」、上坂冬子の「私のBG論」などだ。
 また、ミステリー・スパイものを含めた小説もある。たとえば三好徹の「風塵地帯」、邦光史郎の「夜の回路」などだ。
 ゲリラに絡んで、ゲバラの「ゲバラ戦争」、「ゲバラ日記」、カルロス・マリゲーラの「都市ゲリラ教程」も新書になっているという。
 書きおくれたが、この本の著者となっている井家上隆幸氏は元三一書房の編集者で、1958年の入社から1972年の退社まで、三一新書の編集にも携わった。この本はインタビュー形式であるが、著者のあとがきに依れば、インタビュアーは小田光雄という評論家・翻訳家らしい。時間の制約があったのか、著者の性格のせいなのか、あとがきに書かれているように、この本は『出版界の「歴史」を体験的に記録しようとする』、この”出版人に聞く”シリーズの意図からかなり逸脱し、”私的事情”をさらけだす始末になってしまっている。私が期待した、新書の編集理念や経緯などは、殆ど書かれておらず、表層的な時代ごとの傾向話になっていたのは残念であった。
 因みに、見える範囲で私の本棚にある三一新書は、以下の3点であった。
 日沼倫太郎著「現代作家案内 昭和文学の旗手たち」(No.574)
 埴谷雄高編「内ゲバの論理」(No.829)
 五味川純平著「戦争と人間16」(No.841)

2017年3月20日月曜日

夏目漱石作「吾輩は猫である」

 2014年の4月から続いた朝日新聞朝刊での夏目漱石の小説の連載が間もなく終わる。
 最初は「こころ」(110回、2014.4/20~9/25)、次いで「三四郎」(117回、10/1~2015.3/23)、「それから」(110回、4/1~9/7)、「門」(104回、9/21~2016.3/3)、「夢十夜」(10回、3/9~3/22)、「吾輩は猫である」(4/1~)が掲載された。ここまで飽きもせずに読んできたが、「夢十夜」と「吾輩は猫である」以外は、一度読んだことがあった。

 「猫」を読み始めた時、これは確かに世間で言われてきたように落語の影響を受けている、漫談だ、と思った。しかし、話が進むに連れ、文明、文化、社会、研究批評(時評、戯評)になってきた。これがなかなか面白い。

 小説は論文とは違って型が決まっていない。だから、これが小説か?と思っても、面白ければ良いと納得した。余り面白いので、内田百閒作の「贋作吾輩は猫である」を読みたくなって、市の図書館に予約した。

2017年3月16日木曜日

多和田葉子作「地球にちりばめられて」(第四回)(「群像」2017年3月号掲載)

<第四回あらすじ>
 ウマミ・フェスティバル主催者のノラは、1ヵ月前に古代ローマ帝国時代の浴場の遺跡で、足を怪我して歩けなくなっているテンゾを救い、一緒に暮らす事になる。ノラはテンゾが鮨の国から来た事を知り、彼を講師にフェスティバルを開催する事を決める。しかし、テンゾが政情不安でノルウェーから帰国できなくなり、フェスティバルを中止せざるを得なくなる。失意のノラは、テンゾと出会った遺跡に行くと、そこにはクヌート、Hiruko、アカッシュがいる。Hitrukoは、テンゾは国が消えてしまったためパスポートを持っていないので、身分証明書を提示しなければ空港には入れないのではないかと言う。事情を知った、ノラ、Hiruko、クヌートはオスローに行く事を決意する。

 鮨の国が消えてなくなっているにもかかわらず、未だ国というものが残っており国境が存在する環境で、どこにも色んな国の料理がはびこっている状態は、今からどのくらい後の時代を想定しているのだろうか?物語は少しずつ動き始める。