2018年7月31日火曜日

村上春樹 著「三つの短い話」(文學界2018年7月号掲載)

 村上春樹作の最新短編「三つの短い話」(文學界2018年7月号掲載)を読んだ。
 最初の「石のまくらに」は、アルバイト先で知り合い、一度だけセックスした、短歌を作る女性を絡めての話し。ここで紹介されている短歌が、”ちほ”と名乗るその女性が書いた(つまり春樹が作った)短歌なのか、それとも他の誰かが作った歌の転用なのか?まあ、それがわかっても何も意味ないが。この作の最後には、次のような短歌が載っている。
 たち切るも/たち切られるも/石のまくら
 うなじつければ/ほら、塵となる
 これは、刃物で首を刎ねられることが、彼女の死のあり方だった、ことを示す、一つの短歌なのだろうか?いつもながらに春樹の作は、意味深である(もってまわっている)。そして、何か翻案なのかと思わせる節がある。
 二番目の「クリーム」は、十八歳の時に経験した奇妙な出来事についてだ。十六歳まで通っていたピアノの教室で一緒だった女性から、予備校時代に、突然に演奏会への招待状を受けるが、行ってみると、そんな演奏会はない。その帰り、小さな公園で会った老人とのナゾナゾのような会話が、この作品の柱である。「クリームの中のクリーム」、「中心がいくつもあって、外周を持たない円」とは??
 三番目の「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」は、学生時代、いたずらに書いた実在しないレコードの話だ。死んだはずなので、新しいボサノヴァのレコードが出るはずがないのに、その評論を信じ込んでしまう編集者。そして、卒業し、働き出してからニューヨークの中古レコード店で見つけた、同名のレコード。誰かが冗談で作ったと思って買わずにホテルに戻ったが、気になり、翌日買いに行ったのだが、店主はそんなレコードは売っていないと言う、不思議な話。
 いろんな事情で作品というのは、生まれるのだろうが、近の春樹の作品は面白みがない。自称ハルキストの私は、そう思う。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」頃からだろうか、なんかストーリーが薄まって来たというのか、作られ感があるというのか、ページを読み進めさせるドライビングフォースに欠けてきている。

 もう、春樹も69歳、「風の歌を聴け」を出してから、39年になる。本人がお疲れかもしれないし、私が飽きてきたのかもしれないし、世の中の流れから外れてきたのかもしれない。何れにしても、小説だって、人間と同じように、いつかはご臨終を迎えるのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿