2020年4月26日日曜日

中野翠 著「あのころ、早稲田で」


 下記の朝日新聞の書評(2020年4月11日掲載)を見て興味を持ち、すぐに図書館で借りて読んでみた。
 私は、1960年代後半の大学闘争(俗に言う学園紛争)を経験し、その後の日本社会の移り変わりを見てきた人間として、経験者が闘争をどのように総括し、またその後、どう生きてきたかに興味を持ち、東大全共闘代表であった山本義隆の「私の1960年代」など闘争経験者の著作を10数冊(1960年代安保闘争経験者の著作を含めると20冊以上?)読んできた。
 私の疑問は、フランスやアメリカ、ドイツなどに比べて、日本の闘争経験者が、その後、なぜ(広い意味で)政治に余り関与してこなかった(社会に影響を及ぼしてこなかった)のかということである。
 その答えが、彼らの著作を読むことで得られるのではないかと思っていた。しかし、それはかなえられていない。
 彼らは、当時の起こった事を記してはいるものの、総括はしていない。つまり、今(その後)も彼らのとった行動(持った思想・考え方)は正しかった、と思っているらしい。では、なぜ、その後、日本社会(政治)は変わらなかったのか、なぜ、彼らは改革(革命?)を継続しなかったのか、なぜ、旧来の体勢に埋没してしまったのか、疑問符がついたままである。
 自分のことになるが、当時、彼らの様に暴れ回らず、その後、行動は伴わなかったものの考え方(思想?)は変わらなかったから、反省しなくていいとは思っていない。 社会改革を漸進的に進めるために、議会制民主主義だけを信じてきたのが良いとも思っていない。それしかできなかった、というのが本音である。
 大きな力が自分に掛かった時に、本当に耐えられるのかは自信ないが、最後の一線だけは譲らない気持ちではある。
(閑話休題)
 中野翠という名前は知っていたが、実作は読んだことがなかった。私より若いエッセイストと認識していたのだが、1946年生まれで、私より二つ上のコラムニストであった。もちろん、どんな経歴(闘争経験者)かも知らなかった。

 早稲田(大学)は、日大闘争、東大闘争より少し前の1965年末に、学費値上げ及び学館管理反対闘争を展開し、全国学園闘争の先駆けを担った。この著作は、その時点から始まり、そして、1968年で終わっているので、全国学園闘争当時の雰囲気は伝えられていない。
 当時、彼女の入学した政経学部・経済学科の同期の女子は6名と少なく、そういった点から、彼女は早稲田の全共闘議長の大口さんや、学部の革マル派に属する闘争委員長などから声を掛けられたらしい。文学好きが、なぜか経済に入ってしまい、おまけに社研に入ったというのだから注目されたのだろう。
 しかし、この本を読むと、活動(思想)はファッション的で上滑りだった様である。卒業頃には、学校に行くのは一割で書店、喫茶店に行くのが九割だったらしい。つまり、私が期待した事柄は得られなかったわけではあるが、当時の早稲田の学内の雰囲気も含め、学生の生活の一端は知ることができた。私たちベビーブーム世代が経験するより少し前の、東京という大都会の有名私立大学の学生は、このように自由であったのか、と感心した次第である
 教養にはならないが、面白おかしく書かれており、読んで楽しいので、一読をお勧めする。
 以下、朝日新聞より
<堀部篤史が薦める文庫この新刊!> 
 先日、話題のドキュメンタリー「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を観(み)た。三島の鷹揚(おうよう)な態度と、学生たちに合わせた丁寧な語り口に比べ、駒場キャンパスに集まった学生たちは決して一枚岩には見えず、その主張も抽象的だった。一体彼らは何と闘争していたのか。(1)(注:中野翠「あのころ、早稲田で」)は彼らとほぼ同時代を早稲田大学で過ごした著者が語る「バリケードの内側」の思い出。家に帰れば日常があり、流行や風俗とも無縁ではない等身大の左翼学生たちの姿。当時読んだという60年安保の闘士、奥浩平の手記を「今、読み返してみても圧倒されるよ。その苦悩の内容よりも、苦悩の熱量に。」と評するように、主張よりもその熱量こそが運動の本質だったのではないか。当事者による回想でなく、すぐ側からの客観的視点だからこそ「あのころ」を知る上で貴重。(以下、略)

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