ある一定の層とは、60年代から70年代にかけて青年時代を過ごした世代であり、またアメリカン・ロックを愛する人たちである。私は60年代後半に大学に入学したのでボブ・ディランの名前は勿論知っている。パソコン(及びiPod touch)には彼のアルバム「THE TIMES
THEY ARE A-CHANGIN'」が入っているし、高石ともやや岡林信康などの日本語訳の歌も聴いている。大分昔になるが、三橋和夫による「60年代のボブ・ディラン」(シンコー・ミュージック発行のロック文庫シリーズ)も読んでいる。
しかし、私はボブの良きリスナーではない。それというのも、英語のリスニングが殆ど駄目で理解できていないからだ。この本の著者である湯浅学は、「曲作りはまず詞作から始まる。ボブの場合、言葉のないところから曲は生まれない。突然湧いてくる、という。」と書いている(204頁)。ボブの歌では詞を理解することが大事なのだ。
しかも、歌そのものも真面目に(?)聴いていない。聴いたのは、学生時代にラジオから流れて来た歌とアルバム「THE TIMES THEY ARE A-CHANGIN'」だけである。
ドキュメンタリー映画「ノー・ディレクション・ホーム」(2005年製作・公開)もレンタルしたが、コピーしたまま見ていない。NHK BSプレミアムで放送された「ボブ・ディラン30周年記念コンサート」も録画したままである。
だから、まずは彼の歌を聴くべきなのだろうが、この本を読んでそのきっかけをつかみたかった。ボブがどんな考えでどんな曲を作っているのか。その曲が音楽史の中でどんな位置を占めるのか。
ボブの60年代は音楽的にだけではなく注目された時代であるため、この本でもそういった周辺の事情についても頁を費やしているが、時代が進むに連れて音楽的な話しやライナーノーツ的な解説が多くなってくる。
(著者はあとがきで、「『自伝』は本書の背骨の何割かを成している。」、と書いているが、60年代は別として、後半は特に『自伝』によるところが多いのかも知れない。—この『自伝』とは『ボブ・ディラン自伝』(2005年ソフトバンクパブリッシング刊、原本は2004年発行のChronicles:
Volume One)—)。
音楽的な話しになれば、曲を聴いていなければ分かるわけもないが、それでも何となく私の望みは達成された様にも思う。
この本はボブ・ディランを知りたいと想う人、既にファンになっている人にお勧めの一冊であるのは間違いがない。
ついでの話しだが、私はこの本で初めて、ボブが二〇〇八年四月「類い稀なる詩の力を持つリリカルな作品の数々によりポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に重大な影響を与えた、としてピューリッツァー賞の特別賞を受賞」したことと、「二〇一二年にはアメリカ国民として最高位にあたる、大統領自由勲章も受章」したこと、「九六年以来、毎年のようにノーベル文学賞の下馬評にボブの名が挙がるが、まだ受賞には至っていない」こと(248頁)、を知った。
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