2014年7月12日土曜日

追悼・大西巨人「虔ましい気高さについて」(高澤秀次:文學界2014年5月号)

 大分前に読んだのだが、大西巨人に対する追悼文の中でもっとも心惹かれた文章が、文芸評論家・高澤秀次の「虔(つつ)ましい気高さについて」であった。
 彼はこの文章の冒頭で大西巨人の死を以下の様に書き、追悼している。
「最後の戦後派作家・大西巨人の死は、彼自身の約七十年にわたる文学活動の終焉とともに、「戦後文学」の遺伝子が直接的には消滅したことを告知している。「戦後文学」の担い手は、理念と実践的な作品行為とが一体であることを自らに課し、「戦争と革命」という二十世紀の「大きな物語」を背負った文学世代だった。」
 そして、こうも言う。
「大西巨人の死によって改めて顕在化したのは、「政治と文学」が相拮抗し、文学の現場が同時代的な歴史段階に即応していた時代を「過去」とする、脱歴史化の不可逆的な潮流である。」
 大西巨人の死は「戦後文学」の様に、文学が社会や政治と対峙する時代が終わった事を告げている、というのである。私は、大西巨人の死を待たずに、そのような文学は消滅してしまっていた、と思うのだが、大西巨人の死が駄目押しとなった、というのは確かだろう。

 高澤は、大西巨人の政治態度についても以下の様に言及し、称えている。
「初代全学連委員長・武井昭夫を終生の友とした大西氏は、最も若い戦中派党員作家として戦後を出発した。だが、彼は「転向」を潜り抜けた戦後派の一部が、反ないしは非・共産党的なポーズを通じて、反スターリン主義の旗幟を鮮明にするのを尻目に、離党後も新左翼的な時代風潮に同化することはなかった。
(ついでの話しだが、この文章を読んで「縮図・インコ道理教」にでてくる亀島節義が武井昭夫をモデルにしてのではないか、と以前に書いたことが正しかった事を確認した)

 また、高澤は個人的に「春秋の花」という詞華集(アンソロジー)に最も愛着を感じてきた、という。
 この文章を読み、私もそのアンソロジーを読みたくなった。

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