2014年7月28日月曜日

大西巨人「地獄変相奏鳴曲」(第一楽章〜第三楽章)を読む


 ここのところ、大西巨人の小説を読んでいる。
 彼の小説は、3作以外は、雑誌に掲載されるか、単行本や文庫本になったときに読んでいる。
 先月、「精神の氷点」を読んだので、あとは長編「地獄変相奏鳴曲」と短編集「二十一世紀前夜祭」だけになった。
 今月の初めに市の図書館から「地獄変相奏鳴曲」を借りて読み始めているのだが、これが意外と大部(原稿用紙にして約一千枚)であり、未だ読み終わらない。もっとも、借りて暫くは他の本を読んでいたのだし、読み始めてからも寝る前の数十分程度、しかも毎日読むわけではないのだから致し方ないのかも知れない。決して読みづらい分けではないのだが、”蘊蓄を傾ける”部分が多いのも、読みを遅くする原因の一つにもなっている。
 そうこうするうちに、2分冊(第一楽章~第三楽章と第四楽章)の講談社文芸文庫が刊行された。既に第三楽章までは読んでいたので、今は第四楽章の方を買って読んでいる(それというのも、図書館の本は保管が悪かったのか、特に天(あたま)の部分がカビで汚く、もうこれ以上読む気がしなくなったので)。
 広辞苑によると、奏鳴曲、つまりソナタというのは器楽曲の一形式で、第一楽章は急速な曲、第二楽章は緩やかな曲、第三楽章は急速で軽快な曲、第四楽章はロンド形式かその他の急速な曲が基本らしい。「地獄変相奏鳴曲」がそのような形式になっているかは、私には分からない。
 この作品も、巨人の他の作品同様、長い時間がかかって完成している。第一楽章「白日の序曲」は1948年10月に脱稿し、「近代文学」の同年12月号に掲載された。第二楽章「伝説の黄昏」の初稿は「新日本文学」1954年1月号、第三楽章「犠牲の座標」の初稿(「たたかいの犠牲」)は「新日本文学」1953年4月号に掲載されたが、第四楽章「閉幕の思想あるいは娃重島(あえしま)情死行」の発表(「娃重島(あえしま)情死行/あるいは閉幕の思想」)は1987年の「群像」8月号まで待たねばならなかった。
 また、この作品を、”連環体長篇小説”と銘打っているが、本当にそうなっているのか私には分からない。それというのも、長い時間を掛けて作り上げたせいか、それぞれの楽章の内容に強いつながりが感じられないし、書き方にも齟齬が見られるからである。
 巨人自身もそう感じたのか分からないが、「地獄篇三部作」の前書きで、『「白日の序曲」が本来の場所を占有した今日~今日以後、私は、「地獄変相奏鳴曲」を解体し、「伝説の黄昏」、「犠牲の座標」ならびに「閉幕の思想」の三篇を各独立の小説とする。』、と付記している。そして、「白日の序曲」は、本来の場所たる「地獄篇三部作」の第二部「無限地獄」として生まれ変わっている。

 第一楽章「白日の序曲」は、戦中に虚無的な思想に陥った主人公(23歳)が、その思想故に同じ会社(新聞社)の15歳の佐竹澄江を弄び、自殺に追いやってしまうが、戦後になり、そのことを悔いた主人公(29歳)が同じ会社(出版社)の12歳年下の香坂瑞枝を大切に思い、結婚を決意する、という物語である。主に太郎と澄江の経緯が描かれている。この物語が「精神の氷点」に書かれた物語と同じ内容になっているのは、ほぼ同じ時期の作品であり、当時、巨人の関心事が戦中に自信が陥った虚無主義の克服にあったせいではないかと思われる。
 第二楽章「伝説の黄昏」は、日本人民党員である主人公が自分の細胞(自分の活動となる地域組織)内で起こった部落問題を、第三楽章「犠牲の座標」は、サンフランシスコ講和条約批准や再軍備などに反対し、ストを打つ西海大学の闘争支援とそれに伴う大学当局の関係者処分問題を扱っている。
 巨人は1948年10月に日本共産党に入党、1952年4月には新日本文学会中央委員となる。そして、1961年に考え方の違いから党とは事実上の絶縁状態となり、また1972年2月に文学会を退会している。第二楽章及び第三楽章は、党と文学会の活動を精力的にしていた、まさにその時期の作品であるせいか、党員としての政治活動をそのままに描いた自由度の低い小説になっていて、第一楽章とも第四楽章とも内容や文章のタッチが大きく異なる。
 第四楽章は未だ読み始めたばかりであり、感想については次回触れたい。

 これら四つの楽章の主人公の名字は「税所(さいしょ)」、「新城(しんじょう)」、「大館(おおだて)」、「志貴(しき)」と異なるものの、名前はいずれも「太郎」である。作家の阿部和重は、「神聖喜劇」の主人公・東堂太郎も名前が「太郎」であり、『おなじでありながらちがう人物として、五人の「太郎」を別個の物語へ登場させたことにこそ、大西巨人の画期的な創意があると見る』、と言い、『「地獄変相奏鳴曲」が、「神聖喜劇」が持ち越すしかなかった問題を引き受けた、「別様の何か」であるのは間違いない。』、と言う。

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