2014年8月7日木曜日

河合俊雄「女のいない男たちのインターフェイスしない関係」(新潮2014年7月号掲載)


 6作中4作しか読んでいないのに(「シェラザード」と「女のいない男たち」は未読なのに)、評論を読むのは適切ではないかも知れないが、ガイダンスと思って読んで見た。
 作者は京都大学の教授で、臨床心理学者であり、その(ユング派の分析家の)観点から作品を解いていく。
 具体的には、「愛の対象が謎で、間接化されていて遠いという。一つの共通テーマから読み解く」、という。今回の作品の特徴は、「ノルウェイの森」のように第三者の立場から二者関係に入ってくるのではなく、主人公や話者があくまでも外にとどまり続けることである、という。第三者の存在によってこそ欲望が生まれるという分析(仮説)は通用しない。
 他者や自分の人生に対して関わらないようなデタッチメントというあり方に対して、これまでのハルキの作品はインターフェイスコミットメントを用意していたが、この作品ではそのいずれも起こらずデタッチメントのままでとどまるように思える、と述べる。しかし、テーマは後半の短編に向けて展開しているように思われる、とも述べる。最後から二つ目の「木野」では、「お店を閉めて、遠くまで行って、できるだけ頻繁に移動し、差出人の名前もメッセージもない絵葉書でけを送るように常連客から言われていた木野が、禁を破ることによって、誰かが夜中にホテルのドアをしつこくノックする」。いよいよ何かのインターフェイスが生じてきているようである、という。そして最後の「女のいない男たち」では、愛の謎が一気に解かれる。しかし、それはそれは同時に失われる。そして、この作品集は「祈り」で終わっていくのである、と結ぶ。
 この評論(?)はたった4ページしかないのだが、中身がぎゅっと詰まった缶詰のようであり、また心理学をベースにしているので私には分かりづらいところが多かった。

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