2014年11月21日金曜日

第51回文藝賞に思う


 先月の朝日新聞の片山杜秀の文芸時評は「高学歴者の鬱屈 不条理な今を生き抜く」との見出しの下に、今年(第52回)の文藝賞2作、李龍徳作「死にたくなったら電話して」及び金子薫作「アルタッドに捧ぐ」を採り上げている。
 「死にたくなったら電話して」の中身は「セックスと説教の二語に尽きる」と言い切り、「現代の関西を舞台にした、見事なまでに古典的な破滅小説である」、と言う。「アルタッドに捧ぐ」は「李の逃避路線とは一線を画し、倫理的な気高さがある」、と言う。
 そして、「それにしても、高学歴者や高学歴を目指して挫折し煩悶(はんもん)する者の出てくる小説が、新人の作に目立つ。京大中退者、学者、大学院浪人生。書き手の世代的経験と関係がありそうだ。」、と言う。
 この時評を読み、大変興味を持った。勿論、そこに書かれている僅かのあらすじも読んでの話しだが。おまけに文藝賞の第1回長篇部門は私の最も好きな作家である高橋和巳の「悲の器」が受賞しており、第2回では中・短編部門を真継伸彦が「鮫」で、第4回は金鶴泳が「凍える口」で、第13回は外岡秀俊が「北帰行」と、初めの頃は、社会の矛盾を見つめ、しっかりと書き込んだ作品が受賞しており、昔は注目していた文学賞だったので(勿論、私はこれらの作品を受賞後すぐか数年以内に読んでいる)。
 今回の作品も図書館から雑誌を借り、読もうとした。しかし、両作品とも最初の数ページで読むのを中断してしまった。李の作品は会話がだらだらとしていて筋書きが冗長であり、また、金子の作品は主人公が自分だけの世界に入ってしまっていて、外の世界とかけ離れているように感じられたからだ。
 藤沢周、保坂和志、星野智幸、山田詠美の選評と星野と李、保坂と金子の受賞記念対談は読んだ。その中で受賞作についての話しで特に印象に残った事柄はなかった。
 しかし、対談で保坂の”すらんぷ”について、「…一作目の前にスランプがあった。二十代で、小説家になりたくて、どうすれば書けるかと思いながら、ずっと書きあぐねていたわけ。そこがスランプだった。」、という言葉と、”文学賞受賞”について、「よっぽどの例外を除くと、書き出してから普通は五年くらいはかかる。」、という言葉に興味を持った。5年も掛かるのであれば、自分が今書き始めたならば古希は過ぎてしまうと思った

0 件のコメント:

コメントを投稿