2016年12月27日火曜日

谷崎由依著「囚われの島 またはアステリオスの物語」(文藝2016年冬号)

 朝日新聞の10月の文芸時評で、片山杜秀が、谷崎由依の「囚われの島 またはアステリオスの物語」(文藝2016年冬号)をえらく褒めていたので(と、言ってもその記事が手元にないのでどれほどだったかは、今になっては知るよしもないのだが)、市の図書館から掲載雑誌を借りて読んだ。
 雑誌の目次の添え書きには、中くらいの文字で、「救い」と「犠牲」と「記憶」・・・、著者最高傑作!、とあり、小文字で「次の夢でも、また次の夢でも・・・・・・この世の醜さを集約した「ぼく」を、あなたは救ってくれますか? 蚕を飼う盲目の男に魅入られた女の、時を超えた記憶をめぐる物語。」、とある。しかし、これだけ読んでもなんだか分からない。
 原稿用紙360枚の長篇で三部からなる構成になっている(あらすじの詳細は、群像2016年12月号創作合評から抜粋した添付の図を参照してほしい)。

 本編が始まる前の扉には、以下のようなギリシャ神話の一部が引用されている。
「そこで彼女はアステリオス、すなわちミノタウロスと呼ばれる者を産んだ。その顔は雄牛、残りの身体は人間だった。ある神託を聞き入れたミノス王は、彼をラビュリントスへ幽閉した。ラビュリントスはダイダロスの手になる建築で、からまりあった螺旋の道が出口を眩ます迷宮だった。ーアポロドーロス『ギリシャ神話』」

 第一部は、主人公の新聞記者静元由良が、整った顔だちをした盲目の調律師に魅せられ、徳田の家に通い出す、という話しだ。徳田が子どもの頃から見ている、自分を誰かが殺しにやってくるのではないかという夢が、由良がいつも見ている夢と一緒であった(徳田の見る夢は舟を待っている化け物の夢、由良の見る夢は舟に乗って島に行く夢)。徳田は蚕を飼っている。そのせいか、由良は「父親のない子どもたち」という不思議な題名の養蚕をめぐる連載企画を会社で提案する。しかし、愛人である上司の伊佐田は、自分に対する直近の由良の態度に不審なものを感じ、全く評価せずに却下する。
 第二部は、まゆうという女性の語る、由良川が若狭湾に注ぐ辺りにある、養蚕で栄えた村の不思議な物語になる。 時代は世界恐慌のあった頃だ。村には入り江があり、蓋をするように、当時は神島(かむじま)と呼ばれていた島があった。島には蚕の神様がいることになっていた。遠い遠い昔、目の見えない男の子が生まれた時に、村人はその島に閉じ込めてしまった。その子が蚕にそっくりな挙動をしていたので蚕の島と言われたらしい。養蚕を島ぐるみで止めるとなった時に、まゆうがとても親しくしていた”みすず”が産んだ、誰の子だか分からない”すずな”が人身御供のように、その島に置いてきぼりにされた。
 第三部は、由良の同僚の杉原が、由良の提案した企画を引き継いだところから始まる。由良は辞職し、行方不明になっていた。杉原は、あるときバスの中で、盲目で妊娠しているような身体の由良らしき女を見る。由良は徳田のいた部屋で蚕を飼っていて、自らの身体を虫食まれていた。そして徳田は自由になった(目が見えるようになって(?)出て行った)。

 著者はなかなかの文章家だと思う。そのせいか、第二部は特に引き込まれるように読まさせられた。
 第二部は、伝承話(昔語り)だ。しかし、第一部、第三部は現実(?)の話し。この現実と伝承が、どう絡み合っているのかが分からなかった。第二部だけでは物語は成立しにくいのだろうが、現実の話しとの絡みが分からなければ、第一部と第三部の意味合いが薄く(?)なる。特に第一部の由良と上司が肉体関係(不倫関係)にあるという設定は必要だったのだろうか。
 また、扉に書かれたギリシャ神話と第二部の昔語り及び第三部の由良と徳田の行く末との内容が重なっているようで重なっていないように思えるのは私だけではないようだ。群像の創作合評でも、片岡義男、石田千、野崎歓の三氏はそれぞれの理由は違えど、分からない、分かりにくいを連発している。

 分かりにくい作品ではあるが、これは次回の芥川賞の選考俎上に乗るのではないか。優れた対抗馬がなければ、受賞の可能性もある、と私は思う。

 余分な話かも知れないが、由良川と養蚕、そして神がかりの女性の出身地という話から、第二部に出てくる村は兵庫県の綾部(大本教開祖・出口なおが養女として移り住んだ町)と推測した。また、神島(かむじま)というのは福井県の若狭町にある御神島(おんがみじま)ではないか?由良川は、若狭町とは少し離れているが、若狭湾にそそいでいる。
 これらのことより、醜い男というのは、若狭町にはないが、若狭湾に多い原子力発電所とも考えられる。この作品が、何か(誰か)の犠牲の下に、原発が救われた話と考えるのは、うがち過ぎだろうか?

 最後に、これを書き終わる頃に図書館でコピーした朝日新聞の文芸時評を添付する(群像の創作合評も含め、このようなコピーを勝手にアップしてはいけないのだろうが、日本の書籍・新聞の売り上げ向上のために寄与すると思って許して頂きたいwww)。

2016年8月19日金曜日

多和田葉子の連作小説:ベルリンを舞台に(「新潮」連載)#2

連作6:プーシキン並木通り(2015年10月号)
郊外に佇む戦争の記憶。言葉で描く伯林地図>
 私が生まれた時は終戦からまだ15年しか経っていなかった。もし戦争中に生まれてしまったら爆弾より憲兵の方が恐いという。かつて東と西を分断する線が近くに走っていた公園を歩く。この公園は戦死した赤軍兵士たちを弔ったもので、前方からカーキ色の軍服を着た兵隊たちが来る。憲兵だと思ったらアメリカ兵のかたまりである。公園には巨大なロシア兵の像が建っており、ナチスドイツからベルリンを救ったのがソ連であるのを誇示している。公園の左右には12枚の巨大な絵本があり、私はそのレリーフから様々な物語を想起する。

連作7:リヒャルト・ワグナー通り(2016年1月号)
 私はあの人とオペラ座の前で待ち合わせている。オペラ座の近くで見かけた人びとの物語を勝手に考え出す。

連作8:コルヴィッツ通り(2016年4月号)
街路から出発し時空を経巡るベルリン遊歩譚>
 コルヴィッツ通りを歩いてきた私は公園に向かう。そこには一人ベンチにすわって額に右手を当て、町の様子を眺めている老女がいた。そこから、次男を戦争に行かせ、戦死させてしまった、という物語を作り出す。

連作9:トゥホルスキー通り(2016年7月号)
ベルリンの樹木は何語で立っているんだろう>
 いつもながらに、彼女の作には個人の尊厳、文化の相違、異邦人としての暮らしが表されている。そして、この作には孤独と回顧、政治という今までにはないテーマが取り上げられている。
 小説は論文とは違って、一方的な主張で読者を説き伏せるものではない。だから、おもてだって政治が取り上げられることは少なく、ましてや多和田の作品では(この連作を除いて)読んだ記憶はない。しかし、この作品では極右党の女性代表の話の中で、原発や女性問題、移民問題の話が出てくる。今、世界(社会)の秩序は変わりつつあり、だから、このような表現をせざるを得なくなってきているということだろう。まことに残念である。


 「あの人」は、未だ出てこない。いったい、どんな人なのだろう。

2016年7月4日月曜日

小池真理子著「無伴奏」

 1969年頃の仙台を舞台にしているというので、今年公開されるとすぐに、この作品の映画を見た。しかし、何を主題にしているのかはっきりしない映画だった。では原作はどうかと読んでみた。映画を見てから原作を見るのが良いのか、原作を読んでから映画を見るのが良いのか、小説と映画はそれぞれ独立した作品なのだから、比較してはいけないものなのか、色々議論はあるだろう。しかし、小説も映画同様、テンポの良いものではなかった。
 小池真理子の小説を読んだのは初めてであるから、この作品の書きっぷりが、他の作品とどのように違うかは分からない。
 著者は、”あとがきにかえて”で、以下のように書いている。
 「本書には大それたテーマは何もない。時代の総括などということも、頭から考えなかった。私はただひたすら、かつての自分を思い出し、かつての自分をモデルとして使いながら、時代をセンチメンタルに料理し、味わってみようと試みた。」
 確かに、著者の書いているように仕上がっている。
 ジュリーとレイ子にはモデルがいるが、その他の登場人物は著者の想像の産物であるとも書いている。それが本当かどうかは分からないが、信用するしかないだろう。少なからず、彼女の見聞を基にはしているだろうが。
 バロック喫茶「無伴奏」以外に、嵯加露府(サカロフ)というケーキ屋(洋菓子店)の名前が出てきて、懐かしく感じた。貧乏学生であった私は、学寮近くのケーキ屋で済ませる事が多かったが、名前を記憶しているということは、少なからずお世話になったのかも知れない。

 いずれにしても、映画を見てストーリーが分かっていたせいもあるが、この作品に盛り上がりは感じられなかった。かろうじて、響子がバー「勢津子」を訪れて二人で話す、終章に緊張感を感じた。映画の最初か、最後にこの場面があったかどうか、忘れてしまったが、この部分を広げてストーリーを作ったならば、もっと締まった映画になったような気がしてならない。

2016年6月27日月曜日

新倉裕史著「横須賀、基地の街を歩きつづけて」

 歴史は記録と伝承(口承)によって作られる。
 しかし、戦後の歴史の多くは、高度成長やバブル経済に依って右肩上がりで来た社会情勢の中で、記録されることなく、あるいは語られることなく、現在まで来ているのが実情であるように思える。
 戦後70年経った今、当時を知る人たちが徐々に亡くなりつつある。この本は、そういう時期にあって、記録、伝承の大切さを教えてくれる。そして横須賀に住む人たちでさえ知らない歴史を伝えてくれる。例えば、以下のような事だ。

・いつの頃だろうか、「ソレイユの丘」なるレジャー施設が宣伝されるようになった。昨年、孫と一緒に遊びに行って、何と広い所だろうと思ったが、そんな広い土地がどのように確保されたのだろうとは、考えもしなかった。そこが、実は、かつて農地であり、戦前は旧日本軍が特攻隊用の滑走路を作り、戦後は米軍(進駐軍)に依って強引に取り上げられ、「長井ハイツ」と呼ばれる米軍住宅が建てられた事などは知るよしもなかった。そこ長井で、1946年から起きた農民たちの反対運動が、横須賀初の反基地運動である。(土地は1985年に日本に返還)

・小原台という地名には、浦賀に住んでいたこともあり、多少、馴染みがある。防衛大学校が建つ土地も小原台である。そこに、デッカー基地司令官の指示でゴルフ場が建設されようとしたことがあり、1948年に開拓農民に依って反対運動が起こった。やがて、ゴルフ場が海軍施設(ラジオステーション:無線施設)、そして保安大学(現防衛大学校)用地に変わっていく。農民の反対も虚しく、1956年、久里浜より保安大学が移転された。(防衛大学校の前身が、久里浜にあったという事を、この本で初めて知りました)

・朝鮮戦争をきっかけに、1951年1月、米軍は東京湾湾口に対潜水艦施設の防潜網を秘密裏に設置した(防潜網は佐世保にも設置された)。北朝鮮海軍の潜水艦の東京湾潜入対策という。しかし、それにより漁獲高が大幅に減り、困った漁民が、防潜網撤去、補償要求の運動を起こした。1955年4月に防潜網は撤去されたものの、大した補償金は払われなかった。

・1945年9月、横須賀市は市の新しい方向を決めるために更正対策委員会を設置し、旧軍施設の転用と港湾整備による産業の振興を要項とする5ヵ年計画を発表した。その中に水産講習所(1949年から水産大学)の誘致があった。1947年5月、水産講習所は越中島から久里浜(海軍通信学校跡地)に移転してきたが、1950年の朝鮮戦争勃発とともに、進駐軍に依って引き渡された建物などを再び接収されてしまう。更に警察予備隊の発足とともに、進出の話があり、学生たちは反対したが、どうすることもできず1、954年9月にはその施設の多くを品川校舎に移転した。わずか7年で久里浜時代の幕が閉じられた(戦後に青山学院専門部、日本大学農学部の一部が横須賀に在った、という事をご存じでしょうか?それぞれ1950年、1951年に東京に移転してしまいましたが)。

・朝鮮戦争勃発の翌日より、逗子(1943年4月に横須賀に編入、1950年7月に分離)の池子の米軍弾薬庫から武器の輸送が開始された。朝鮮人数十名が職業安定所前で抗議、座り込みを行い、逮捕される。

・「旧軍港市転換法(軍転法)」をご存じでしょうか?私も良くは知りませんでした。街の散歩の折、不入斗運動公園にて、軍転法施行30年を記念して建設された「軍転記念の塔」を見つけ、説明を読んだときにはピンと来なかったのですが、この本で詳細を知りました。「軍転法」とは基地の町を平和産業港湾都市に作り替えるため、1950年に国の必要な支援を定めた法律です。その法律の是非を問うために、対象である旧軍港4市(呉、佐世保、舞鶴、横須賀)で憲法95条が求める住民投票が行われ、賛成多数(横須賀では87%の賛成)で成立しました。
「軍転法」の骨子は旧軍港市が平和産業港湾都市に転換するために必要と認めた場合には、国は旧軍用地を譲り渡さなければならないというものです。「軍転法」にはモデルがありました。「広島平和記念都市建設法」「長崎国際文化都市建設法」で、いずれも憲法95条に則った特別法であり、3法は市民自らが平和の都市をつくり、平和日本実現の理想達成に寄与することを目指しています。しかし、不幸なことに「軍転法」公布の3日前に朝鮮戦争が始まり、旧軍財産の払い下げを受けた民間企業が、米軍のために兵器を供給するという皮肉なことが起きます。以降、横須賀では旧軍用地の約33%が自衛隊と米軍による軍事使用になっています。また、「軍港」や「基地」といったイメージがつきまとっています。平和都市を目指したのにも拘わらず、観光資源が「海軍カレー」や「ネイビーバーガー」、「チェリーチーズケーキ」、「戦艦三笠」、「軍港めぐり」、「どぶ板通り」など、旧軍や自衛隊、米軍に依拠したものが殆どというのは、いかがなものでしょうか?私は疑問に思います。

・2004年10月31日、「ヨコスカ平和船団」の”おむすび丸”(ヨット)が、軍港内で原子力空母の母港化反対のプラカードを掲げてデモをしているときに、米軍警備艇がわざと急カーブを切ってその前を高速で横切りました。そのせいで、ヨットが大きく揺れ、マストを支えるワイヤーが切れました。この米軍の妨害行為は違法行為だということで抗議したところ、米軍が素直に100%の過失責任を認め謝罪し、賠償しました(過去には例がない)。なぜ、そうなったかというと、陸海ともに地位協定によって米軍に提供されているが、海については港湾法があり、許可を得れば自由に航行できるからです。この時は海上保安庁に届け出が出ていました。そもそも、港湾法は、戦前、国家の管理に置かれていた港湾が軍港として使われた反省から、戦後、その管理を地方自治体にゆだねた画期的な法律です。ですから、この時のデモは海上保安庁に監視され、守られていたのです。(*沖縄県知事による、辺野古の海の埋め立て工事差し止めも、この法律によるものだと今になって分かりました)

 日本のあちこちに、米軍基地が存在しているが、沖縄の次に多いのは神奈川県である。中でも横須賀には、東はハワイから西はアフリカ喜望峰まで、インド洋のほとんどと太平洋の3分の2をカバーする第7艦隊の司令部がある。そのほか第5空母群司令部、第7艦隊潜水艦隊司令部、第15駆逐艦隊司令部、在日米海軍司令部、米海軍横須賀基地艦船修理部、在日米海軍補給部、横須賀海軍病院などが配置されている。また、横須賀基地の最大の特徴は、米海軍の艦船の母港となっていることである。原子力空母ロナルド・レーガン、戦闘揚陸指揮艦ブルーリッジ、11隻のイージス艦が前進配備されている世界最大の海外母港なのです(原子力空母の海外母港は世界でただ一つ横須賀だけ)。

 著者らは、そんな横須賀で1976年2月から40年間、1回も休まず月例デモを行っている。頭が下がる思いである。


 

2016年5月11日水曜日

山田清機著「東京湾岸畸人伝」

 朝日新聞の神奈川版だったと思うが、この本が紹介されており、その解説に興味を持ったので図書館で借りて読んだ。
 朝日新聞に載った影響は大きい。借りるまで暫く待たされたばかりでなく、私の後にも未だ26人が待っている。
 私の場合、今となっては、解説のどんなところに興味を持ったのか、はっきりとは覚えていないが、たしか馬堀海岸の能面師と久里浜医療センターのアル中患者について書かれていることに興味を持ったのではないかと思う。場所が自分の住んでいるところに近いからだ。
 6つの話しがあり、いずれもスムーズに読めた。それは話しが面白いという事よりは、それだけ難しい話しではないという事だ。この本の目的が、もともと体系だった、知識を植え付けるレポートではないのだから、当然かも知れない。気楽に読む本なのだ。
 著者山田清機という人は、聞き取りした人の話だけではなく、どうも、その人にまつわる事柄の基本的な説明(知識)を交える書き方をするらしい。6つの話しの概要と解説事項は以下の通りだ。私には、やはり、第三話「馬堀海岸の能面師」が面白かった
第一話「築地のヒール」
 築地・仲卸「石司」の番頭、中島正之の話。(解説)築地の仲卸の役割
第二話「横浜、最後の沖仲仕」
 藤木組の創始者、藤木幸太郎のの話。(解説)港湾労働者の仕事
第三話「馬堀海岸の能面師」
 教師から能面師になった南波寿好の話。
 (解説)佐藤さとるの童話「誰も知らない小さな国」、革マル派と中核派の関係、
     能面の種類
第四話「木更津の悪人」
 證誠寺(しょうじょうじ)の前住職・隆克朗の話。
 (解説)著者が新卒で入社し、実習した新日鐵・君津製鉄所の仕事
第五話「久里浜病院のとっぽいひと」
 アルコール依存症患者
 (元モス・アドバタイジングのデザイナー兼アートディレクター)荒井晴熙の話。
 (解説)ペリー来航、海軍野比病院、
     厚木航空隊司令・小園安名大佐の終戦時行動、水際特攻「伏龍」
第六話「羽田、夢見る老漁師」
 太田漁協・シジミ会会長・伊東俊次の話。
 (解説)川崎・ガス橋、羽田周辺風景、漁法

2016年5月4日水曜日

ジュンパ・ラヒリ 著「べつの言葉で」

 ジュンパ・ラヒリは、短篇小説でも長篇小説でも読者の心を惹きつける類い稀なる現代の作家(女性)である。
 私は映画「その名にちなんで」を見て、その原作者として知った。その後、映画の原作、短篇集「停電の夜に」、長篇小説「低地」を読み、その魅力に惹きつけられた。
 イギリスで生まれ、3歳の時からアメリカに住んでいたラヒリは、英語で書いてきたアメリカの作家だ。その彼女が2012年にローマに移り住み、イタリア語で書き始めた。そのことを新潮社の定期刊行物「波」で知ったとき、奇異に感じた。慣れ親しんだ言葉を捨てて、別の言葉に走るなんて事にどんな意味があるのだろうかと。
 この彼女の初めてのエッセイ集「べつの言葉で」は、イタリア語を習得する過程と苦悩を、雑誌に連載した、いわば(毎週一章ずつ書いた)記録である。又、「取り違え」と「薄暗がり」の掌篇二作も併せて収録されている。
 記録だからなのか、彼女のイタリア語で書いた文章がそうであったからなのか、翻訳の問題なのか、この作品には、いつもの小説のような躍動感は感じられない。とても残念である。それでも、あるいは、それだからこそ、彼女の苦闘や苦悩に胸を打たれる。
 なぜ彼女がイタリア語で書こうとしたのか、それは父母が話す”母”とも言える「ベンガル語」にも、生まれ育ってからずっと使い続けてきた”継母”とも言える「英語」にも違和感を持ってきたからだ。この作品には、そのことを基点に、「書くこと」や「言語(言葉)」、「文化」、「祖国」、「原点」、「空白」などが語られている。
 まず、扉には「…わたしには違う言語が必要だった。情愛と省察の場である言語が」という、アントニオ・タブッキの言葉が置かれている。
 ”壊れやすい仮小屋”という章では、「また、なぜわたしは書くのか?」という自問に対して、「存在の謎を探るため。(中略)わたしを反応させるあらゆることを理解したければ、それを言葉にする必要がある。ものを書くことはわたしにとって、人生を消化し、秩序立てるただ一つの方法なのだ。(中略)わたしは書くことを通してすべてを読み取ろうとするから、わたしにとってイタリア語で書くことは、言語を習得するためのもっとも深く刺激的な方法だ、というだけの事だろう。(中略)わたしには祖国も特定の文化もない。もし書かなかったら、言葉を使う仕事をしなかったら、地上に存在していると感じられないだろう。」と答える。
 ”二度目の亡命”という章では、「 ある特定の場所に属していない者は、 実はどこにも帰ることができない。 亡命と帰還という概念は、当然その原点となる祖国を必要とする。祖国も真の母国語も持たないわたしは、世界を、そして机の上をさまよっている。」と書く。
 また、”三角形”という章では、「イタリア語を勉強するのは、わたしの人生における英語とベンガル語における長い対立から逃れることだと思う。母も継母も拒否すること。自立した道だ。」、と言い切る。
 ”変身”という章では、ローマの友人からのメールの言葉に勇気づけられたとして、「新しい言語は新しい人生のようなのもので、文法とシンタックスがあなたを作り変えてくれます。別の論理、別の感覚の中にすっと入り込んで下さい」を引いている。
 そして、「芸術の力と言うのは、わたしたちを目覚めさせ、徹底的に衝撃を与え、変化させる力だと思う。」、と力強く述べる。

2016年4月24日日曜日

鶴見俊輔 著「まなざし」


 この本を読み始めたとき、「知」を感じた。いまどきネットで調べて得る、狭くて浅い「知」ではない。長い期間で蓄え培った「知」だ。
 そして、この本に記された、著者や著者に選ばれた人たちや対談者の言葉に多くの示唆を得た。たとえば、石牟礼道子管見の章では、
 日本の知識人の特徴は記憶の短い事である。との書き出しで始まり、「私のきらいな日本の知識人の特徴は明治以後に限られることが分かった。明治以前には知識人は今のようなショート・メモリーによって生きてはいない。」、と言い切る。
 また、「石牟礼道子のことを考えると、おなじ時代に別のところでおこったベトナム人とアメリカ合衆国の人びとの戦い、(中略)。そこでも、共同体のための自死と、それに及ばない近代文明の指導的知識人の二つの感じかたの対立である。高等教育を受けた文明人には、共同体の感情が自分自身の中に湧きあがってくる人びとの事が、想像できなくなっており、(後略)」、と書く。
 「一度デモクラシーを通してファシズムに成長した日本が、アメリカ合衆国に後押しされて二度目のファシズムに進んでゆくのに、私はどう対するか。(中略)。日本の大学は、明治国家のつくった大学で、国家の造った大学として、国家の方針の変化に弱いという特徴を持っている。(後略)」、とも述べる。
 金時鐘は、著者との対談で、「親しい関係と思われるものにむしろ切れねばならないものがあり、関係ないと思われているものにむしろ関係をつくりださねばならないものがあるんだということも(中略)いかに先進的な、革命的なことを言っても、心情の質は旧態依然で、意識の底辺は滞ったままだと。」と話す、等々。
 是非、一読することをお勧めする。
 ただ、高野長英以降の親族、もしくは近親者に関する話しは、やや甘めの感想(観察)になっている気がする。
 又、同じ話が何回も出てきてくどい感じがする。これは、著者が昨年7月20日に没したあとの最初の単行本、つまり最後の著作であり、これまで、種々の場に書いたり述べたりしたことを整理したためでもあるので、致し方ないのかもしれない

2016年2月12日金曜日

石田衣良著「水を抱く」

 ある連載評論が読みたくて、新潮社の小冊子「波」を、ここ数年定期購読している。
 その中で、この小説について、著者と村山由佳とが対談していた。PR誌みたいな物なので、エロい描写について、つまみ食いしていた。エロい描写とは、男性に読みたいと思わせる描写である。
 スポーツジムの帰りに本屋に立ち寄ると、石田衣良史上もっとも危険でもっとも淫らな純愛小説。>、このような帯が付いた新刊の文庫本の重なっていた。
 私は、石田衣良は芥川賞作家だが、受賞後エンターテイナーに変わった、と思っていたのだが、ネットで調べると、彼は直木賞作家である。もともとエンターテイナーならストーリーの作り方が大胆であるというのに納得できる。
 彼の作品としては、今まで「娼年」という、男娼になる大学生の話しか読んでいない。題名に惹かれて、立ち読みし、文庫本を買って読んだと記憶しているのだが、本棚を探しても見当たらなかった。だからどんな内容だったかは思い出せない。(ある場所が分からなくなっているのは問題なので、いずれ持っている本や雑誌は適切に整理しなければならないのだが、なかなか手がつかない。少しずついらないものはブックオフに持っていってるのだが、売った記録もないので、未だどこかに埋もれているのだろう)
(閑話休題)Amazonの商品の説明には、以下のように書かれている。
 「恋愛にも大学生活にも退屈し、うつろな毎日を過ごしていたリョウ、二十歳。だが、バイト先のバーにあらわれた、会員制ボーイズクラブのオーナー・御堂静香から誘われ、とまどいながらも「娼夫」の仕事をはじめる。やがてリョウは、さまざまな女性のなかにひそむ、欲望の不思議に魅せられていく。いくつものベッドで過ごした、ひと夏の光と影を鮮烈に描きだす、長編恋愛小説。」
 そう、立ち読みで見た大胆な描写に惹かれて購入したのだが、実は最後は綺麗な恋愛小説になっていた、と記憶している。著者の意図するところは、エロなのか純愛なのか分からないが、その時は結局、”なあんだ”、というような気分で終わった、と記憶している。
 「水を抱く」は、彼の作品史上”もっとも淫ら”であるという。この時点で私は”純愛小説”という言葉を見落としている。
 この話しのストーリーを説明しても仕方ない。Amazonの商品の説明を引用する。
 「初対面で彼女は、ぼくの頬をなめた。29歳の営業マン・伊藤俊也は、ネットで知り合った「ナギ」と会う。5歳年上のナギは、奔放で謎めいた女性だった。雑居ビルの非常階段で、秘密のクラブで、デパートのトイレで、過激な行為を共にするが、決して俊也と寝ようとはしない。だがある日、ナギと別れろと差出人不明の手紙が届き……。石田衣良史上もっとも危険でもっとも淫らな純愛小説。」
 ノーマルであったはずの俊也だが、次第にナギの魅力に溺れていく。俊也は高額な医療検査機器を売っている営業マンで、クライアントとなる島波修二郎に取り入るが、彼も色情狂。島波は俊也を自分に似ているという、ナギと島波は、色情狂という点では似ているが、性格は似ているようで似ていない。ナギに溺れる俊也、俊也を自分のプレイに参加させ、最後にナギとセックスする島波。過激な行為が描かれ、途中、読むのも嫌になるが、余り詳しく(しつこく)描かれていないので、何とか最後まで読み通せた。
 ストーリーの詳細を書くとネタバレになってしまうので、これから読む人の意欲の妨げになるだろう。
 しかし、どうしても書きたいことがある。「娼年」と同じように、これは淫らな行為を表現しているものではなさそうである、という事だ。いや、それで読者を増やすのも狙いかも知れない。しかし、著者は、ノーマル人でもアブノーマル人でも持っている本質(?)は変わらないのではないか。もっとはっきり言えば、人間が子孫を増やすという事からセックスという行為を解放した時に、アブノーマルな行為が生じるのは分かりきった事であり、ノーマルとの違いは、人間の興味の対象として何に向かうかに依るだけだと見ているのではないだろうか?
 ここまで書いてきて、私は自分が考えた事とちょっと違う事を書いている事に気がついた。そう、「誰でもアブノーマルな部分を抱えていて、何かの拍子にそちら側に振れる事があるのではないか。つまり、ノーマルな人間と思っていた人が、いつアブノーマルになっても不思議ではない」、と著者は言いたいのではないだろうか?
昼はノーマル、夜はアブノーマル。あるいは、昔はノーマル、今はアブノーマル。ノーマルとアブノーマルはいつでも入れ替わる。ナギは、島波はどうしてアブノーマルになったのか?俊也は、なぜナギに惹かれたのか?
 最後は帯に書かれていたように、純愛小説になって、今回も胸の高まりを沈められてしまう。

 そして、もう一つ書きたい事がある。3.11をエンタテイメントの道具に使わないで欲しい、という事だ。同じ体験をしても、悲しみは、心の痛みは人それぞれだから、どのように書いても良い、と著者は思っているかもしれないが、だからこそ、特別なカースのために3.11を道具にしないで欲しいのだ。ハンドルネームが、「ナギ」なんて、洒落でしょうね!?おまけにクライアントの名前が「島波」なんて。