2021年5月23日日曜日

中村文則著「逃亡者」


 「R帝国」に比べて、文章が丁寧で読みやすかった。しかし、最後の方になると僕という主語は誰のことなのか分からなくなる。
 新聞の連載であったということなので、その時々の強い思いで書き進めたのか構成がやや乱れている。主題は太平洋戦争時代の軍楽隊のトランペットを巡る話なのだが、主人公的な作家山峰とその彼女アインの血縁、地縁である長崎のキリシタン迫害の歴史、戦時にトランペットを所持して兵士を鼓舞していた鈴木の話で多くのページが費やされている。アインに関する話ではヴェトナムの抵抗の歴史なども挟まる。これら3つの話は面白く次のページに進みたいと意欲をそそる。
 しかし、主題は、鈴木が所持していたトランペットには人を熱狂的にさせる魔力があるという話を信じて新興宗教組織やBという男で代表される正体不明の組織が暗躍し、山峰からトランペットを奪おうとして、暴力で、そして心理で追い詰める話である。新興宗教の方はリーダーが鈴木の知り合いということで探していたのだが、正体不明の組織は何を考えているのかは明示されない。
 今日、狂信的な組織が人を動かすために話を作り上げ、反対勢力には力で揺さぶりをかけ、人権を無視して自らの組織の支配下に置こうとする事が、アンダーグラウンドでは行われているのだろう。そんな話なのだろうか?
 卑近な話では、ネットでフェイクニュースを流し、人の気持を揺さぶり、面白がっている人たちもいるし、そのフェイクニュースを本気で信じて徒党を組もうとする集団もある。ネット社会には見えない闇が潜んでいるのだ。
 時間に余裕がある方には一読をお勧めできる一冊である。


内容(「BOOK」データベースより)

 「君が最もなりたくない人間に、なってもらう」第二次大戦下、“熱狂”“悪魔の楽器”と呼ばれ、ある作戦を不穏な成功に導いたとされる美しきトランペット。あらゆる理不尽が交錯する中、それを隠し持ち逃亡する男にはしかし、ある女性と交わした一つの「約束」があった―。キリシタン迫害から第二次世界大戦、そして現代を貫く大いなる「意志」。中村文学の到達点。 

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