2014年5月27日火曜日

追悼 大西巨人(群像2014年5月号)

 群像2014年5月号には、3月に亡くなった大西巨人に対する3氏の追悼記事が載っていた。3氏とは作家の保坂和志、評論家でエッセイストの坪内祐三、文芸評論家の池田雄一氏だ。
 その中で、坪内氏の文章で気になる所があった。彼が書いた光文社版「神聖喜劇」第五巻の解説(*)について、大西巨人が ”四十年振りの喜びを覚えた” というくだりである。
 坪内氏は「この一節を目にした時、私は、嬉しいというよりも本当に驚いた。まさか大西氏に喜んでもらえたとは!」と書いている。私は大西巨人に会ったことも話を聞いたこともないけれど、その小説の書きっぷりから、私にも彼が人を褒める事があるなんて信じがたい。でも、それは事実であった。それが書かれたタブロイド判「思想運動」がどんなものかと思って調べていると、大西巨人自らが主催しているホームページ「大西巨人/巨人館」に行き当たった。そして、その文章が再録されていた
 そこには以下の様に書かれていた。
さて、「光文社文庫」版第五巻の「解説」は、坪内祐三《つぼうちゆうぞう》氏――私の未知未見・文通類も皆無・だがその文業のことは重々承知の人物――の執筆である。その「解説」は、次ぎのように結ばれている。


 私は、第一巻の終わり、十九歳の夏に東堂が、母方の叔父を荼毘《だび》に附する火葬場でダシル・ハメットの『血の収穫』を読んでいたシーンが、つまり、「しかし火葬場行きの私がたずさえていたのは、ダシル・ハメット作“Red Harvest”であった」というたった一行が、脳裏に強く焼きついて離れない。これからも、繰り返し、時どき、そのシーンのことを思い出すことになるだろう。

 同様の読後感を持った人が、ほかにも多少は、いたであろう。しかし、こういう「作者私のモティーフというか作意というか確信」に相渉《あいわた》った読後感が私の耳目に触れたのは、笠氏の読後感このかた約四十年ぶりのことであった。すなわち作者私は、同根同質の大きい喜びを四十年ぶり・二度目に覚えたのである。

(*)私が持っている「光文社文庫」版第五巻の解説を見てみると確かに坪内氏が書いている。しかし、
  今はそれを読む余裕がない。後で時間のある時に読んで見たい

 もう一つ気になったのは、その「思想運動」なるタブロイド紙の発行人である。なぜなら、その「思想運動」は、単行本「縮図・インコ道理教」(太田出版2005年発行)の109頁に出てくる「亀島は、《実践人集団・思想鍛錬》の創設者であり、…」、という文章につながるのではないか、と思ったからだ。その文章の後に、現代日本人名辞典の亀山節義の項目が載っているが、最後に新聞「思想鍛錬」、雑誌「社会公論」などで活動、とある。
 大西巨人の作品の中の事柄や人物は、多少モディファイされているものの、ほぼ全てが実在の事柄や人物と考えて良いであろう。それを突き止めれば話しが分かり易くなったり、面白く感じられる面もあろうが、私はこの手法は好まない。
 結局、この亀島なる人物は、共産主義者であり評論家の武井昭夫(全学連初代委員長、2010年没)を指しているのではないかという所に行きついた。武井は、生前、活動家集団の創設者であり、機関紙「思想運動」、機関誌「社会評論」を発行していた。だから、何だというのは別の項目で考察してみたい。

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