2014年5月27日火曜日

追悼 秋山駿


 今年の2月に発行された三田文學2014冬季号は、昨年10月に亡くなられた文芸評論家秋山駿を追悼し、文芸評論家の富岡幸一郎、勝又浩、作家の岳真也、元日経新聞文化部編集委員の浦田憲治の4氏の寄稿と同誌昭和482月号に掲載した秋山駿の講演速記加筆「現代文学と内向の世代」を載せている。

 秋山駿と言っても多くの方はご存じないかも知れない。私が彼の作品を良く読んだのは19601970年代であり、単行本ではなく雑誌の掲載文が多かった。当時でもごく限られた人にしか知られていなかったし、ましてや文芸評論家というものの世の中の認知がなくなりつつある現代に至っては尚更である。文壇というものが無くなったばかりではなく、色々なカルチュアが氾濫している今日では、純文学という狭いカルチュアだけを対象にしていては、評論というものが成り立たなくなっている、という事も文芸評論家という存在を希薄にしているようにも思う。もっとも、80年代くらいまでは、紙に書かれた作品を高みから見て、あれやこれや批評するのが評論だと世の中が誤解していた節がないでもない。私もその一人ではある。評論とは社会現象や小説などを対象とはするものの、その批評の中で自分を語るものだと気がついたのは、数年前である。

 前置きが長くなったが、秋山駿は、人間の内奥に潜むものを探りながら、日常の何気ない場所に埋め込まれた無名者の声に耳を傾けていた、と富岡幸一郎は書いている。動機なき殺人などを対象とされたのもそのような意味からであったろうと思う。
 秋山駿は戦後文学、第三の新人、内向の世代の文学を対象にして語る面も多かった。一時はそのような文学に光が当たらなくなっていたが、最近になって、小島信夫や安岡章太郎、庄野潤三などの第三の新人に眼を向ける若者も出てきたとの話しもある。もっとも、それは村上春樹が彼らの小説を好んでいる、という事に帰因しているからかも知れないが。

 いずれにせよ秋山駿は83歳で亡くなってしまって、もうこの世にはいない。今、私の本棚を覗いて見えるのは彼の声が載っている何冊かの三田文學だけである。
・インタビュー「私の文学を語る」(インタビュア:秋山駿)
 三島由紀夫(昭和434月号)、高橋和巳(昭和4310月号)、北杜夫(昭和441月号)、井上光晴(昭和442月号)、大岡昇平(昭和443月号)
座談会「戦後文学の流れ」(出席者:秋山駿、田久保英夫、上総英郎、中上健次)(昭和452月号)
評論「架空の行為と死−連合赤軍事件を素材に−」(昭和476月号)

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