出版社(岩波書店)の広告を見て読もうと思った。異母兄を探す物語だという。私にも異母兄がいた。そして異父兄と異父姉も。
二人の異母兄は父から紹介されて知った。伯父(叔父)、伯母(叔母)や従兄弟たちにも知られていた。すでに二人は亡くなってこの世にはいない。
異父兄と異父姉は、母の昔の戸籍を見て知った。今は生きているとも死んでいるとも、どうなっているのか全くわからない。だから、探す方法の手がかりが得られればと思った。
しかし、この話は違っていた。父の青春を探す物語であった。確かに副題として、表紙には「息子がたどる父の青春」とあった。
作者の父は、若い頃、岩波映画製作所に勤めていて、作者の母とは別の女性と初めての結婚をして息子を作っていた。作者は、その存在を父からは知らされず、父が入院中、母から聞かされたのだが、居場所を知り、後ろ姿を見ても、向き合って話し合おうとはしなかった。できなかったのだ。その時にはその意味を認められなくなっていたのかもしれない。
追い求めていた父の青春の象徴とも言える、フリーのカメラマン時代に「黄桜物語」というCMを作ったという事実も、十分ではないが突き止められた。
しかし最後に思うのは、カメラマンを退め、母と一緒にパン屋を始め、苦労してきたことが、父の青春なのだ、という事だった。
私の目論見は満足されなかった。父母や異父・異母兄弟や、そして先祖の方々の歴史について探索している私にとっては、何のプラスにもならなかった。
そもそも、父の過去の仕事を知っていないから、作者のように手がかりを持っているわけではない。また、逆に異母兄については、その手がかりはあったが、詳細を知る(訊く)前に亡くなってしまった。事情は違っていたのだ。