2019年12月30日月曜日

町田哲也 著「家族をさがす旅」(岩波書店)

 出版社(岩波書店)の広告を見て読もうと思った。異母兄を探す物語だという。私にも異母兄がいた。そして異父兄と異父姉も。

 二人の異母兄は父から紹介されて知った。伯父(叔父)、伯母(叔母)や従兄弟たちにも知られていた。すでに二人は亡くなってこの世にはいない。

 異父兄と異父姉は、母の昔の戸籍を見て知った。今は生きているとも死んでいるとも、どうなっているのか全くわからない。だから、探す方法の手がかりが得られればと思った。
 しかし、この話は違っていた。父の青春を探す物語であった。確かに副題として、表紙には「息子がたどる父の青春」とあった。
 作者の父は、若い頃、岩波映画製作所に勤めていて、作者の母とは別の女性と初めての結婚をして息子を作っていた。作者は、その存在を父からは知らされず、父が入院中、母から聞かされたのだが、居場所を知り、後ろ姿を見ても、向き合って話し合おうとはしなかった。できなかったのだ。その時にはその意味を認められなくなっていたのかもしれない。

 追い求めていた父の青春の象徴とも言える、フリーのカメラマン時代に「黄桜物語」というCMを作ったという事実も、十分ではないが突き止められた。
 しかし最後に思うのは、カメラマンを退め、母と一緒にパン屋を始め、苦労してきたことが、父の青春なのだ、という事だった。

 私の目論見は満足されなかった。父母や異父・異母兄弟や、そして先祖の方々の歴史について探索している私にとっては、何のプラスにもならなかった。
 そもそも、父の過去の仕事を知っていないから、作者のように手がかりを持っているわけではない。また、逆に異母兄については、その手がかりはあったが、詳細を知る(訊く)前に亡くなってしまった。事情は違っていたのだ。

2019年10月7日月曜日

第161回(令和元年上半期)芥川賞受賞作 今村夏子「むらさきのスカートの女(おんな)」

 芥川賞の選考基準というものがどうなっているのかは分からないが、時々、何故か読んでいて楽しい作品が選ばれる時がある。今回の受賞作、「むらさきのスカートの女」は、そんな小説である。
 私は、比喩や暗喩、寓話の理解に乏しい。小説は論文と違い、読者がいかように理解しても良い、というようなことをどこかで読んだが、作者はこの小説で何を言いたかったのだろうか?
 非正規で働いている女性たちのライフスタイルなのか、精神状況なのか。一度、辞めさせられると次の仕事はなかなか見つからない。働いていても、いつ辞めさせられるかもしれない。辞めさせられないように上司に媚を売る。仲間の行状をチェックし、隙あらば脚を引っ張れるのではないかと思ったりする。

 「むらさきのスカートの女」と「黄色いカーディガンの女」は、同一人物なのか?話はすべて「カーディガン」の妄想なのか?「むらさき」は存在しなかったのか?所長と「むらさき」の不倫もなかったのか?どのように考えても勝手なのだ。

 しかし、何故、この作品が選ばれたのだろうか?選考委員の選評からは、他に該当するものがなかったと読める。
 
 それにしても年々歳々テーマも卑近になり、文章も軽くなっている。今回で選考委員を退く高樹のぶ子が以下のようなことを書いている。
「社会の停滞はまた、作家の五感も弱らせました。表現とは自分が外から感じたものを、また外に出す作業だと思っていたのですが、心を刺激するものが少なくなり、”受感”が難しい時代になった。だからなのか、リアルな体験を元にするのではなく、自分の頭で出すタイプの小説が多くなったように思います。芥川賞全体の流れとしては、個人の内部に根ざしているものを描く作品が増えてきました。」

 だから、これは致し方ないことなのだろうか?もっと重厚な作品が出ることを期待したい。

2019年8月26日月曜日

山口百恵 著「蒼い時」

 私は若い時、山口百恵のファンであった。新宿コマ劇場で開催された「百恵ちゃんまつり」にも、一度ではあるが、静岡から見に行った筋金入り(笑)のファンである。
 その私が、今更ながら初めてこの本を読んだわけは、終活の一環である。決して彼女が、直近、キルト作品集(写真集)を出したからではない。最近、終活の一環として、好きな作家の書いた小説を読んだり、好きな女優が出演している映画(ビデオ)を見たりしているからだ。平均寿命の歳まで、あと10年強となり、あらためて好きだった人を堪能したいためだ。
 この本を今まで読まなかったのは、読むのが怖かったためではない。引退する歌手が書いた内容に意味を認めなかったためだ。今回読んでみて、それが正しかったとは思えなかった。当時の彼女を理解するには、適切な作品であった。
 芸能界という特殊な世界に8年間身を置き、21歳という未だうら若い年齢で結婚する女性。しかも、当時もっとも人気のある歌手が書いたにしては衝撃的な内容ではあったが、彼女の嘘のない気持ちが書かれていた。
 内容や構成は、プロデューサーの残間里江子が考えたのだろう。良くできている。発行されたのが1980年というせいか、今の時代から見ると「随想」以外は、表現が硬いのだが。私の感想は以下の通り。
序章 横須賀:
 横須賀への愛が溢れている。住んでいる私にとっては、とても嬉しい
出生:
 彼女は認知はされているものの嫡出子ではなかった。自分勝手な父への憎悪と、子供を産んで苦労した母への感謝が綴られている。生きることに真摯な彼女を私はあらためて好きになった
性:
 出会ってきた”性”というものに、正面から向き合ってきた姿が赤裸々に語られている。こんなことまで書いて良いのだろうか、と思わせられる
裁判:
 いい加減な記事を書いた雑誌の編集長らへの名誉毀損の告訴裁判に証人として立った時の彼女の気持ちの動きを事細かく書いている。20歳になったばかりの女性にしては気丈に対応している。小さい時から、しっかりしていたのだろう。あるいはそうせざるを得なかったのかもしれない
結婚:
 友和に初めてあった時から結婚を決めるまでの彼女の気持ちを、時系列で記している。彼女にとっては、幸せな結婚をすることが母へのプレゼントだったのかもしれないと思う
引退:
 引退を決意し、実現させるまでの経緯が書かれている。結婚直前なのだから当たり前かもしれないが、愛する人のためだけの自分になりたい、との気持ちが強く出ている。21歳、彼女はまだ若かった。でも、人生一本道、戻ることはできない。二人の子供を産み、60歳まで離婚もせず暮らしてきた。それを思うと、彼女の選んだ道は正しかったのだろう。そう思いたい。 
随想:
 この章は、前の五つの章に比べて文章が柔らかく、彼女の言葉でそのまま書かれているようである。
 スター誕生、劣等感、数字、少女、歌、新聞配達、予見、化粧、喝采、夢、色、髪、嫉妬、死、友達、金銭感覚、特別、妹、海
 それぞれのページ数(文字数)は少ないが、21歳まで生きてきた彼女の姿、形がスーっと頭に入ってくる。読んでいて楽しい章である。
今、蒼い時:
 まとめ、とも、あとがきとも思える章である。この作品をどのようにして書いてきたか、そしてこれまで関わってきた人たちへの感謝の言葉と、そして未来を見つめる彼女の言葉が記されている

 読み終わって感じるのは、自分が思い描いていた山口百恵という姿に間違いはなかった、ということである。あの端正な顔と真摯に生きる姿が、私に彼女を好きにさせたのである。

2019年5月12日日曜日

崔 実(チェ シル)著「ジニのパズル」


 前から気になっていた一冊であったが、実のところ内容については余り頭に入っていなかった。朝日新聞の好書好日(あれ!、私のこのブログの題名に似ている。私のブログの方が古いので真似ではない)(5月4日朝刊掲載)で、翻訳家の辛島 デイヴィッドが、以下のように紹介していたので、早速、図書館で借りて読んだ。

在日韓国人の「ジニ」は、朝鮮語がわからないまま、中学生で朝鮮学校に入学する。留学先のアメリカでの「現在」、「革命」を目指すまでの朝鮮学校での記憶、北朝鮮の親族の手紙。短い章のコラージュにより物語はテンポよく展開する。主題は(2)のリービに近いが、その軽快なスタイルは、どちらかというと(同じ群像新人文学賞の)(1)の村上のデビュー作を思わせる。主題やスタイルがどのように発展していくのか楽しみな才能。
注)(2):「模範郷」? (1):村上春樹

 米国での高校生(中学生?)の生活から始まる。ポップな書き出しで気分良くスッと入れる。しかし、学校から退学を勧められ(勧告され)、ホームステイ先のママ・ステファニーと相談されるように校長に言われたところあたりから、段々と、湿った特徴の日本の小説っぽくなり始める。「あなた、ここに来る前に何かあったのかしら」、というステファニーの問いかけから、日本にいた時のジニの朝鮮学校時代の話に切り替わる。
 この小説がデビュー作であるので仕方ないのかも知れないが、朝鮮学校におけるジニの生活記録的な物語や文章は、やや粗雑な感じがする。出だしの才能を思わせる語り口やストーリー、構成とはかけ離れている。才能はあるだろう。間違いはない。しかし、芥川賞を受賞できなかった理由は、その辺にあるだろう。審査員からしてみれば、もう何作か見て見たかったのだろう。
(閑話休題)
 ジニの朝鮮学校での生活は重苦しく、徐々に、お国(日本ではない。北朝鮮は母国とも言えないだろう)の現体制(一族支配)への怒りになっていく。ストーリーが粗雑な感じがするのは、朝鮮学校では絶対ありえない事をストーリーにしているのに加え、それが政治的な主張に思えてしまえるからだ。
 読む人によって受け取り方は違うだろう。是非、一読し、判断していただきたい。

書籍データ

:二つの言語の間で必死に生き抜いた少女の革命。全選考委員の絶賛により第59回群像新人文学賞を受賞、若き才能の圧倒的デビュー作!

2019年5月9日木曜日

書籍データ

 以前から書籍に関するデータが欲しいと思っていた。
 ISBNさえあれば本の内容が簡単に分かるということは知っていた。しかし、ネットでちょっと探しただけではどこにあるか見つからなかった。だからいつもAMAZONで見つけたりしている。でも、めんど臭いし、古い本だと見つからないケースもある。今回ネットで見つけたのは、openBDというウェブサイト。しかし、そのサイトでも直には検索できない。そのデータを活用する方法が別のサイトに載っていたので、それに従って、HTMLをコピーし、index.hemlを作成したので公開したい。下記のリンクを使えば書誌データと書籍の内容が把握できる(ただし、文庫については単行本があると表示されないケースがあった)。
 本の内容を知る検索ページ

 書誌データについては、
 国立国会図書館 や
 日本書籍出版協会 などで探すことができる。

2019年5月8日水曜日

文豪春秋 第2回「三角形の歌」

 第1回の「走れ芥川賞」は、「走れメロス」を書いた太宰治が川端康成や佐藤春夫に手紙を出して芥川賞を請い願う話。その後、有名になる太宰にしては何とも不思議な行動である。有名な話ではあるが、漫画に描かれると今更馬鹿だな、と思ってしまう。

 この回は、中原中也と同棲していた長谷川泰子を友達の小林秀雄が奪ってしまう話(詩人が絡んだ三角関係の話)。それなりに有名な話ではあるが、人生訓的な話を書くと思える小林の道を外れた行いはなんとも解せない。まあ、彼らはそんな輩なのだと思うしかない。
 第2回「三角形の歌」

文豪春秋(ドリヤス工場 作画:文学界連載)

 最近、このブログのみでなく投稿が適当になっている。投稿しないだけではなく、中途半端になっている。すでに半ば自由な身になって6年以上が経過した。何をやっても何をやらなくとも良い(実は、分担を任された家事手伝いはやること必須。これが荷が重く、時間もそれなりに取られる)のだが、あれやこれやでバタバタした生活をしている。書けば長くなるので、省略する。この直前の投稿「2018年の読書」にしても、(1)で次の(2)は書いていない(いつになるか、多分、書かないままで終わるだろう)。

 本稿は、それとは離れて、ドリヤス工場作画の「文豪春秋」について書こうとしている。「文豪春秋」は、文学界に連載されている。書家の石川九楊が連載している、「河東碧梧桐ー表現の永続革命」を読もうとしたら、偶然に見つけた。新聞か何かでそのような漫画(?)があるのは知っていた。当初はちらっと見て、読む気がしなかったのだが、ある時、何の話か忘れたが面白かったので、時間があれば読むことにした。読めばなかなか面白い。石川氏の連載は6月号で終わるので、文学界を図書館から借りるのは終わりになる。しかし、文春オンラインでも読むことができるので、そちらで第1回から読むことにした。第1回は、「走れ芥川賞」。下記ページから見ることができる。

 第1回「走れ芥川賞」

2019年1月20日日曜日

2018年の読書(1)

 最近は図書館の本を借りて読むことが多くなった。年金生活になったということもあるのだが、買って読めば、妻が(私の)物が増えることを好んでいないので、いずれ処分しなければならないからだ。もっとも私自身も終活をしなければならないので(しているので)、好ましいことではないのだが。
 一方、仕事を辞めれば悠々自適と思っていたら、家事を一部担当させられ、むしろ働いている時より読書の時間が著しく減ってしまった
 そういったこととは関係ないのだが、自分の頭の整理のためもあり、昨年図書館から借りた本と購入した本がどのくらいあったのか、何であったのか書いてみたい。もちろん、そんな事を書いてみても、読む者にとっては何の役にも立たないだろうし、読んでも面白くないだろう。だから、整理するとともにお勧めの本について、若干コメントしたい。
 昨年、図書館から借りた本と雑誌は合わせて64冊。購入した本は書店で2冊、古書店で1冊、講演会と美術館で各1冊、AMAZONで4冊(うち1冊はKindle版)であり、ヤフオク!で落札した本が5冊、定期購入雑誌(NHK短歌)が12冊で、つごう90冊である。
 内訳は、絵はがき関連1冊、学生運動関連3冊、技術史関連7冊、芸術関連3冊、広告関連1冊、自分史関連21冊、小説5冊、食べ物関連1冊、政治・社会関連1冊、短歌関連17冊、伝記1冊、篆刻関連10冊、対談1冊、文学(文壇)・出版史1冊、文芸雑誌12冊、歴史関連4冊、PCアプリ関連1冊である(分類は、自分の思いで勝手につけた)。
 90冊は多いと思われるだろうが、全てを読んだわけではない。図書館で借りた本・雑誌は、どちらかといえば、必要な部分をコピーしたり、流し読みしたり、つまみ読みしたものが多い。購入した本などでも、読んでいない本や読みかけのままの本、眺めただけの本もある。NHK短歌は、毎月送られてくるので読まなければいけないのだが、10月号が読みかけで、11月号、12月号は積んだままである。
 自分のメモのような事は、ここだけにして、読んだ本についてコメントしたい。
 まず、文芸雑誌だが、このブログを良く読む方はお分かりだろうが、多和田葉子や金原ひとみ、村上春樹など好きな作家の最新作がいちはやく読めるので良い。
 ただ、その作家の話だが、多和田は世界的に有名になってきているようだが、多作になり質がやや落ちてきているように感じる。春樹に至っては感覚的に古くなってきているように感じる。だから、今後は雑誌掲載・連載を読む事は少なくするつもりである。この二人の作品については旧作をお勧めする。
 連載物では、書道家の石川九楊氏が文学界に連載している「河東碧梧桐ー表現の永続革命」が面白い。俳句と書に興味のある方にはお勧めである。今年に入っても連載継続中である。
 長くなったので、ここで一度切りたい。(続く)