文芸雑誌「群像」の8月号(2014年)に掲載された。雑誌のHPには以下の様なコメントがある。
鎖国を続けるいつかの「日本」。ここでは老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もない。新しい世代に託された希望とは果たして? 多和田葉子「献灯使」、〈大きな過ちの未来〉を物語る問題作です。
ここに書かれているように主人公である義郎(よしろう)は108歳、いつまで生き続けなければならないのか分からない。そして曾孫の無名(むめい)を育てている。無名が本当の主人公とも言える。彼の世代は非常にひ弱で歩くことも出来ず、食事も制限されている。義郎の妻、鞠華(まりか)はどこか別の場所の施設で子供たちの世話をしているらしい。孫の飛藻(とも)は日本のどこかを放浪しているらしい。娘の天南(あまな)は沖縄に住んでいる。沖縄は物が豊富らしい。
各国はそれぞれ大変な問題を抱えており、それが世界中に広がらないように自分の内部で解決しようということが決まり、鎖国をしている。だから外国から物が輸入できなくなった日本は物資が不足している。そのなかで物が豊富な沖縄などはバーター取引ができる東北などとの交易はするが、関東とは余り取引しない。それ故、東京の中心部から人は周辺部に逃げてしまっている。外来語は禁止されているわけではないが、できる限り日本語が使われている。とても変な世界だ。
曾孫の無名は突然に何かが起こり15歳になる。先生の夜那谷(よなたに)は、その無名を外国に送ろうとする。鎖国ではあるが、海外に行くことは禁止されてはいないらしい。彼らを「献灯使」というのだろうか?隣に住んでいた、好意を持った同世代の睡蓮(すいれん)は急にいなくなってしまったのだが、海の近くで再開する。彼女も「献灯使」だという事が分かる。彼女にも海外に一緒に行くことを誘われる。そこで物語は終わる。
多和田の小説は、つい最近までは、個人的な体験を踏まえた、少しシュールな物語であった。だから、狙いや内容が多少分からなくても面白かった。しかし、ここ数作はどうも個人的体験というよりは世相を踏まえた作品になっている。説明調だから内容が理解できるできないに関わらず、面白い作品には仕上がっていない。高齢者の健康・医療、子供たちへの過保護、世界の政治・経済問題などに、彼女なりの主張があるのだろうが、本作品は駄作と思える。
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