2017年1月21日土曜日

ジョン・アーヴィング著「ひとりの体で」

 
 
 
 BSジャパンに、オードリーの若林が司会で、小説家と話しをする「ご本、出しときますね?」という番組があった。それが、今年の1月2日にお正月スペシャルで復活した。
この回には、朝井リョウ、西加奈子、村田沙耶香、綿矢りさという、直木賞受賞者2名、芥川賞受賞者2名という豪華メンバーであった(これまでも、何かの文学賞を受賞している作家が出ていた、と記憶している)。
 この番組では、作家が「本が苦手な人にオススメの一冊」と「悔しいけど・・・面白かった一冊」を紹介するのだが、西加奈子の今回の「悔しいけど・・・」は、ジョン・アーヴィングの「ひとりの体で」であった。彼女はアーヴィングが好きで、新作が発売されると必ず直ぐに買って読むそうである。それほど、アーヴィングが好きな彼女が、この作品はとっても面白かった、というので、早速、図書館で借りた。字の大きさも普通で、行間も詰まっていて、上下2冊という、かなり大部な作品である。

 何を言おう、私も彼女ほどでないが、アーヴィングファンである。これまで、いくつかの作品を読んでいるが、どれも大変面白かった。しかし、彼の作品は取っつきが悪く、話しの調子が良くなるまでに、結構、ページ数がかかる。翻訳物という事もあるのかもしれない。この作品は特にそんな感じで、さすがの私も、他に読む本があるせいで、第一章で中断せざるを得なくなった。時間が空いたら読む事にしたい。

2017年1月20日金曜日

多和田葉子作「地球にちりばめられて」(第二回)(「群像」2017年1月号掲載)

 
 前回は、今後主人公と行動を共にすると思われる、デンマークに暮らす言語学の研究者クヌートから見たHirukoとの出会いが語られた。今回は、Hirukoが、移民の子どもたちにメルヘンを通してヨーロッパを知ってもらう活動をしているメルヘン・センターに、紙芝居を見せる事で職を得た話し。彼女は、紙芝居を、日本と思われる彼女の母国の昔話を基に作っていた。そんな話しの中で多和田得意の言葉の違いの話しが織り込まれる。しかし、第一回ほど歯切れが良くない。
 多和田といえども、月に一回の連載では、書き方に山谷(やまたに)が現れるのだろう。一回の枚数が少ない、間隔のあいた連載物は、書くのは楽だろうが、このような波が出るのは致し方ないだろう。第二回は平凡駄作である。

2017年1月10日火曜日

多和田葉子作「地球にちりばめられて」(第一回)(「群像」2016年12月号掲載)

 群像12月号(2016年)から、多和田の小説の連載が始まった。同誌のHPには、次のように書かれている。
突然テレビから聞こえてきた「不思議なほど理解できる」言葉。それは彼女が「作り出した」言語だった――。その正体は奇跡か、未来か? 若手言語学者と消滅した島国の生き残りによる、不思議な冒険が始まった! 新連載、多和田葉子「地球にちりばめられて」。著者が果てしない想像力で描く“新しい神話”です。

 近未来の話らしい。場所はデンマーク。クヌートという言語学科の院生が、”自分が生まれ育った国が存在しない人たちばかりを集めて話しを聞く”、という主旨の番組をテレビで見たところから話は始まる。その中で、手作りの言語で話す、中国大陸とポリネシアの間に浮かぶ列島で生まれ育った女性Hirukoに興味を持つ。女性は、「一年の予定でヨーロッパに留学し、あと二ヵ月で帰国という時に、自分の国が消えてしまって、家に帰れなくなってしまった」、と言う。クヌートは彼女に会いたくて、すぐにテレビ局に電話すると、ロビーで会える事になる。そして、寿司レストランで食事しながら言葉の話をし始める。
 Hirukoの、母国は明らかに日本である。なぜなら彼女の話す言葉(単語)ー寿司、北越、新潟県、かんじき、ゆきうさぎ、歌舞伎、抹茶などーが日本語で、育った環境もそうらしい。

 久しぶりに多和田得意の言語の話で、今後のストーリーに期待が持てる。

多和田葉子の連作小説:ベルリンを舞台に(「新潮」連載)#3

 多和田葉子の連作も2016年の10月号を持って完結した。
連作10:マヤコフスキーリング(2016年10月号)<わたしの隣にすわっているのはマヤコフスキーだった――街から贈られた出会いと別れ。>


 廃業したはずの喫茶店が開いているので入ってみると誰もおらず、やはり営業していない。その窓際の席に座った時に、ガラスの向こうにマヤコフスキーを見かける。話しかけるが、それはガラスに映った彼女の顔であった。マヤコフスキーが入ってくるところを思い浮かべたら途端、生暖かい息を頬に感じる。彼が隣に座っていた。彼は、「ドアが開いて、あの人があらわれる」と言う。あの人とは、彼の親友でリーリャの夫でもあるオーシブという男だという。リーリャを挟んで三角関係にあった。

 この話は、すべて主人公の空想である。彼女の話す、”あの人”は最後までついに現れなかった。”あの人”とは、マヤコフスキーの事なのだろうか?それとも、全く違う男なのだろうか?そんな事はどうでも良い作品の様な気がするが、やはり知りたくなる。

2017年1月9日月曜日

綿矢りさ、金原ひとみの本が同時発売

 今日の朝日新聞2面の下部に、”第130回芥川賞 最年少同時受賞から13年 朝日新聞連載 初の同時発売!!”、との宣伝が大きく出されていた。いずれも9月からだったと思うが、12月までの3ヵ月間、漱石の「猫」を含めて三つの連載小説を読んできた。「猫」は別格として、この二つの小説には期待するところがあった。詳細は別に書くとして、綿矢りさの「私をくいとめて」期待外れ大江健三郎賞も受賞している作家の作とは思えなかった。金原ひとみの「クラウドガール」は、9月1日から土日も休まず連載が続けられた、まあまあの力作であるが、未だ未だ続くだろう、これからが面白そうだという期待を持った昨年暮れに尻つぼみのように終わりになってしまった。しかし、結構読ませる作品にはなっている。及第点をあげても良いだろう。こちらも詳細は別途投稿したい。