2018年12月12日水曜日

谷崎由依著「鏡の中のアジア」


 この作家の作品を初めて読んだのはもう2年前になる。”文藝”に掲載された囚われの島 またはアステリオスの物語だ。とても文章が上手く、またストーリーも良くできていて感心した。今年の7月に出版された「鏡の中のアジア」という本を、書店で見つけ、その題名にも興味が惹かれたこともあり、早速、市の図書館から借り出して読んだ。
 あいも変わらず、文章は上手い。流れるようで詩的でもある。5作の掌編、短編、中篇が収められているが、いずれもストーリーらしきものは明確でなく、ファンタジックな物語である。会話らしきものは少なく、ページ数、文字数より多く感じ、読むには力がいる。作品にはそれぞれアジアの地名(国名)が付されているが、ストーリーからは、それ程、その都市(国)を認識できない。特に「天蓋歩行」。ストーリーよりも(詩的な)文章を読むのが好きな人には、一読に値する作品だと思う。推奨する。

2018年11月1日木曜日

紗倉まな著「春、死なん」(群像2018年10月号掲載)

 
 七十歳の性を描いているという広告を見て、即座に図書館に予約した。私が書いてみたいテーマだったからだ。

 作者である紗倉まなは知らなかったので、雑誌の最後に載っている執筆者一覧を見ると、<AV女優、作家。93年生。『最低。』『凹凸』>とある。えっ、AV女優。二十四、五歳。若い!なんでそんな人が高齢者の性について書くの?、と思った。AV女優なら書くことは過激ではないか?話題作りで、ストーリーも文章も適当ではないか?など、読む前から眉に唾をつけた。
 念のためにウィキペディアを見ると、国立の木更津工業高専の環境都市工学科卒で、処女作『最低。』が映画化されるらしいし、AV女優としても有名らしい。

 前振りはともかく、作品であるが、ストーリーも過激ではなく、文章もしっかりしていて、良い意味でも悪い意味でもがっかりした。
 主人公は、妻を亡くした七十歳。アダルト雑誌やAVを見て、性の衝動を自分で処理している。ある時、タバコを吸うために病院のそばの喫茶店に入ると、店の女主人からトミーじゃない、と呼びかけられる。彼女は、昔の大学の短歌サークルで一年後輩だった文江(フーミン)で、夫に先立たれ、子供もいない一人暮らし、という。トミーは同じサークルの喜美代と結婚したのだが、結婚直前に文江と一度だけベッドを共にした。文江にしてみれば、自分が恋人を奪われたので、同じようにしてやろうと思って、寝たらしい。そんな二人だけど、自由の身となり、ルンルン気分でラブホテルに入って事を為す。しかし、そのあとでトミーの前に喜代美が現れたり、トミーが自宅に帰ると部屋の中が黒い貝で一杯になっていたりする。

 七十歳の男にも六十九歳の女にも性の衝動は現代のテーマになりうる。加えて、母と一人息子の関係や息子夫婦の感情のもつれなど現代のどこにでもありそうなテーマも描いている。

 作者には、それなりに力量はあるとも思えるが、作品の中に読者を引きずり込むような意外性は感じられなかった。凡作である。次回作品に期待したい。

2018年10月15日月曜日

第159回(平成30年度上半期)芥川賞受賞作 高橋弘希「送り火」


 今年上半期(第159回)の芥川賞は、高橋弘希氏の「送り火」に決まった。氏は「指の骨」で、2014年の新潮新人賞を受賞しており、その作の評判が良かったことから、最終候補作四作に絞られた時、受賞の可能性が高いと思われた。だから、受賞が決まった時、驚きはなかった。
 受賞できなかった三作は読んではいないが、確かに「送り火」の文章力は素晴らしい。しかし、私はいくつかの点でやや違和感を覚えた。例えば、不必要に熟語が使われていること、時代背景は現代だと思われるが登場人物の知識がやけに昔のことに詳しいこと、描かれている場所は山村と思われるが、なぜか無人の銭湯があることなどだ。そうは言っても、その文章力に惹きつけられて最終エピソードまでスムーズに読むことができた。東京から引っ越してきた主人公は、中学三年生。クラスの人数は少なく、男子全員いつも連れ立って遊ばなくてはならない。そこで中心となる晃の行動に理不尽さを感じるが、拒否や抵抗するほどの極端なことはない。
 だが、最終エピソードを迎えると、彼ら以外の人物ー卒業生ーが現れて、全く信じられないような暴力沙汰が始まる。ここから先は、読んでもらった方が良い。その暴力を、作者が描く必然性はあったのだろうか?そして、その暴力は何を意味するのだろうか?
 私は、小説に描かれるエピソードには、描かれるべき必然性がなければならないと思っている。この最終エピソードに、必然性は感じられなかった。作者の内在的な闇が現れ、その衝動に突き動かされて筆が動いたとしか思えない。
 選者の一人である高樹のぶ子は、選評を読むと私と同じように感じたらしい(添付画像参照)。また、川上弘美氏もこう書いている、「読後わたしは、どこにも行けないような気がしてしまったのです。」。また、宮本輝氏は、「最後の場面は残酷で、主人公の少年はこのまま殺されてしまうのかと、その不当さに首をかしげざるを得ない。」、と書いている。

 そうは言っても、多数決とは言え、多くの選者に推薦され芥川賞を受賞した作品です。ぜひ、一読されることをお勧めする。

2018年9月15日土曜日

大江健三郎 柄谷行人 全対話(2018年、講談社発行)


 この本を、書店で見つけた時にその組み合わせにビックリした。と同時に、読みたいと思った。二人の良き読者ではない私だが、昔から、その著作と動向に注目していた二人が対話する。
 リベラルで通っている大江と若き頃旧ブントであった柄谷の組み合わせは、1970年台前半のイメージからすると奇妙ではあるが、大江はより党派的(狭め)に、柄谷はより非党派的(広め)になったことを考えれば、対話しても不思議な感じはない。もっとも、ここに載っている三つの対話は1994年、95年、96年になされたものである。
 大江は、その頃であったか断筆宣言をして、再開はしたが、今はもう余り物を書かなくなっているが、「全小説」の発行も始まり、そういった点からも注目されている(病気のようでもあり、うがった見方をすれば、終焉が近いということか)。
 柄谷は、未だ精力的に活動をしており、年々、一般人に注目されるようになってきているように感じられる。

 本題に入ろう。内容は、次の四部からなる。
「大江健三郎氏と私」(柄谷行人書き下ろし)
「中野重治のエチカ」(1994年) 「戦後の文学の認識と方法」(1996年)
「世界と日本と日本人」(1995年)

 「中野・・・」は、転向論ではない。中野の「ちょっとの違いへのこだわり」についてである。二人とも、中野は物事を細部から組み立てていく、という。20ページにある、大江の「細部の観察から少しずつ論理を展開していく、(中略)ついには、きわめて大きいものを組み立てていく。」という、中野の論理の組み方への言及がこの対談の骨子である。
 「戦後の文学・・・」は、”普遍”という概念を軸として、哲学と文学を論じている戦後文学は、普遍的な要素を持っていたという。戦後文学の作家として、野間宏、大岡昇平、武田泰淳、堀田善衛などの名前が挙げられる。しかし、日本の文学は、世界では美的対象でしか評価されていないという。三島由紀夫がその代表で、安部公房は、日本から遠ざかった位置で評価されているという。大江は、「本当に文学が必要で意味ある時代に自分が引っかかっていた、それを信じて作家活動をしていたのは、『万延元年のフットボール』のころで終わりじゃなかっただろうかという気持ちがあります。」と、述べる。柄谷は、「それは、大江個人にとってだけではなく、ある意味、万延以来の日本の近代のある種の総決算だったんじゃないかと思う」、と述べている。哲学論は、スピノザやカントを中心に展開される。
 「世界と日本・・・」は、大江の『あいまいな日本の私』から、ambivalent(両価)とambiguous(両義)の違いを中心に展開する。柄谷は、「我々の感情は、ほとんど常に両義的だ。(中略)常に二つの対立的な価値になるものが共存している状態だと思う。ambivalentな態度とは、それをクリアにしようとする、一つの方に決めてしまうことだ」という。大江も柄谷も、ambiguous(両義)な態度を評価する。
 ”普遍”と”日本の文学”については、上記二つの対談に共通している話題のように思える。

 教養レベルの高い人同士の話で、現代の外国の哲学者や批評家の名前が何の説明もなく出てくる(脚注はある)。私は彼らを知らず、話についていけない部分も多い。
 しかし、哲学も文学も生活に根ざしていて、日常の生き方を表現しているのではないか、と思う時、全てを理解しなくても自分を少しだけでも高いところに連れていってくれるのではないかと思う。
 そういう考えで、いつも背伸びして生きてきた。しかし、理解できていないのに、本当に役に立ったのかと思うこの頃ではある。でもこれが、私の生き方であり、これからも信じて生きていくしかないし、信じて生きていくだろう、と思う。

2018年8月8日水曜日

西部邁 著「六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー」(1986年発行)

 
 本屋に行くと読みたくなる本を見つけてしまう(笑)ので、できるだけ本屋には行かないようにしていたのだが、最近はまた、スポーツジムの帰りに行くようになってしまった。ひと月以上前の事になるだろうか、文庫の棚で西部邁「六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー」(文春学藝ライブラリー)という本を見つけてしまった(笑)。
 目次を見ると、第一章から第六章までは、6名の著名人(篠田邦雄氏は知らなかったが)の名前が書かれている。面白そうだと思って、すぐに図書館に貸出予約を入れた。西部氏が、ちょうど自殺で世間を騒がせていた頃だ。西部氏については、60年安保の指導者で、その後、経済学者となった保守の論客という事は知ってはいたが、これまで一つの著作も読んではいなかった。
 本屋で見たのは今年6月に発行された文庫だが、私が図書館で借りたのは、昭和61年(1986年)10月発行のその元になる単行本。内容に差異はないと思う(これ以外に、洋泉社が2007年6月に発行した新書〈MC新書 17〉があるらしい)

 結論から言うと、西部氏が真面目に書いたとは思えない内容で、皆様にお勧めできるような本ではない。
 期待していたのは、何らかの思想的な自己批判があるとのではないか、と言うことなのだが、思想的な内容は、わずかに長崎浩の章に見られるくらいだろうか?それも、長崎浩が述べていることが、一般人の我々では理解しにくい内容なので、西部氏の考えもそれと裏腹で同じだ言われても、それも理解できない。
 そも、西部氏は、序章において、「ブントにかんする政治的評価などは私の本当の関心事ではないのだ」、「自分のかかわったかぎりでのブントについて語ろうとしているのであり、またそれしか語れないのである」と言い切っている。その通りに、唐牛健太郎、篠田邦雄、東原吉伸、島成郎、森田実の章では、彼我の交流を主にした面白おかしい話しが記されているだけである。
 散見するのは、とても運動の先頭に立っていた人とは思えない感慨である。例えば、「マルクス主義が何であるかを知らずに、またそれを知るための暇もなしに、共産主義者同盟のアジテーターになっていた。獄舎に入ってから、さて自分の主義の実態はと、あれこれ文献を読みすすんでみると、それらは私の肌に合わぬ衣装であり、腹に収まらぬ食物だと思わないわけには行かなかった。」。これを読んで、無責任極まりないと思わないではいられない。

 直截的な表現ではなかったかも知れないが、ブントの寄って立つところは、共産党と闘う事であったらしい。少なくとも西部氏はそう思っていたし、現実に駒場のブントは、そう行動したらしい。

2018年7月31日火曜日

多和田葉子 著「胡蝶、カルフォルニアに舞う」

 どういう事情かわからないが、最近、多和田葉子の作品が頻繁に文芸雑誌に掲載される。今回の作品は、読むつもりはなかったのだが、偶々、春樹の最新短編が掲載されている雑誌(文學界7月号)に載っていたので、ついでに読んだ。
 日本の大学に入れないので、親がアメリカに留学させたが、授業にも出ず、遊んでいた”I”が、どうせ卒業もできないし、アメリカでも就職できないのだろうからと、一念発起(?)して、日本で就職すれば、親が喜ぶだろうと10年ぶりに帰国。メールだけの友達で、高校時代の同級生の優子のところに寄宿して、面接に行った会社での試験は、白い内装の箱の中に入って、顧客からの電話を受けるカスタマーサービスの仕事。英語ができるだけでいいという仕事は、うまくこなせるのだが、倒れるまで働かせるのではないだろうと思うと、それは、アメリカに向かう機内での夢であった。
 題名が示すように、これは「胡蝶の夢」なのか?10年ぶりの日本では、電車の乗車券を買う時に、「西瓜」を使うなどという、つまらない言葉遊びは多和田らしいが、なんでこんな作品を書いたのかわからない。彼女の作品には、いつも何らか意味が隠されているのだが、この場合は何だろう?

 それにしても、彼女の作品としては、駄作の部類だろう。何らかの事情があって書いたのだろうが、余り自分の作品を安売りしないほうが良いだろう。ノーベル賞候補作家なのだから。もっとも、本人はそんな風に思っていないかも知れないし、確率的にもかなり低いのだから、どうでも良いのかも知れないが。

村上春樹 著「三つの短い話」(文學界2018年7月号掲載)

 村上春樹作の最新短編「三つの短い話」(文學界2018年7月号掲載)を読んだ。
 最初の「石のまくらに」は、アルバイト先で知り合い、一度だけセックスした、短歌を作る女性を絡めての話し。ここで紹介されている短歌が、”ちほ”と名乗るその女性が書いた(つまり春樹が作った)短歌なのか、それとも他の誰かが作った歌の転用なのか?まあ、それがわかっても何も意味ないが。この作の最後には、次のような短歌が載っている。
 たち切るも/たち切られるも/石のまくら
 うなじつければ/ほら、塵となる
 これは、刃物で首を刎ねられることが、彼女の死のあり方だった、ことを示す、一つの短歌なのだろうか?いつもながらに春樹の作は、意味深である(もってまわっている)。そして、何か翻案なのかと思わせる節がある。
 二番目の「クリーム」は、十八歳の時に経験した奇妙な出来事についてだ。十六歳まで通っていたピアノの教室で一緒だった女性から、予備校時代に、突然に演奏会への招待状を受けるが、行ってみると、そんな演奏会はない。その帰り、小さな公園で会った老人とのナゾナゾのような会話が、この作品の柱である。「クリームの中のクリーム」、「中心がいくつもあって、外周を持たない円」とは??
 三番目の「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」は、学生時代、いたずらに書いた実在しないレコードの話だ。死んだはずなので、新しいボサノヴァのレコードが出るはずがないのに、その評論を信じ込んでしまう編集者。そして、卒業し、働き出してからニューヨークの中古レコード店で見つけた、同名のレコード。誰かが冗談で作ったと思って買わずにホテルに戻ったが、気になり、翌日買いに行ったのだが、店主はそんなレコードは売っていないと言う、不思議な話。
 いろんな事情で作品というのは、生まれるのだろうが、近の春樹の作品は面白みがない。自称ハルキストの私は、そう思う。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」頃からだろうか、なんかストーリーが薄まって来たというのか、作られ感があるというのか、ページを読み進めさせるドライビングフォースに欠けてきている。

 もう、春樹も69歳、「風の歌を聴け」を出してから、39年になる。本人がお疲れかもしれないし、私が飽きてきたのかもしれないし、世の中の流れから外れてきたのかもしれない。何れにしても、小説だって、人間と同じように、いつかはご臨終を迎えるのだ。

2018年7月14日土曜日

川上未映子著「ウィステリアと三人の女たち」

 「ウィステリア」とは、「藤」である。
 ネットで、藤について調べてみると、日本では古くから、フジを女性に、マツを男性にたとえ、これらを近くに植える習慣があった、とある。
 また、花言葉は、「優しさ」「歓迎」「決して離れない」「恋に酔う」、と書かれている。
 西洋では、「welcome(歓迎)」「steadfast(確固たる、しっかりした、忠実な)」、とも書かれている。川上未映子が、このようなことをどれだけ意識したかは分からない。
 しかし、少なくとも藤を女性性として意識したことは、確実だろう。収録された、4つの短編のすべてが女性の物語であり、「彼女と彼女の記憶」なのだ。私は、最後の「ウィステリアと三人の女たち」に、添え物のように出てくる夫しか、男性の登場人物を記憶していない。
 川上未映子の作品の全てを読んでいるわけではないが、私が読んだのは、少年少女を登場させる作品がほとんどであったような気がする。何か彼女に作風を変えさせる環境変化があったのだろうか?子供を産み、育てている事が影響しているとは思えない。キーワードは女性だ。
 四つの物語に共通するのは、主人公に影響を与える「彼女」の存在である。恋愛関係にあるわけではないが、なんだか心が繋がっているような関係に思える。
 最初の「彼女と彼女の記憶について」では、主人公(女性)が、小学生時代に親しかったが、その後、女の子と一緒に餓死した同級生、そして、そのことを教えた同級生(いずれも女性)。
 「シャンデリア」では、デパートのブランド店周りで毎日を過ごす主人公(女性)が出会った、ブランド品にまみれた老婆。
 「マリーの愛の証明」では、施設の校外学習で一緒に歩く、昔、主人公(女性)が愛していた女性。
 最後の「ウィステリアと三人の女たち」では、自宅の前の廃屋を見に来る女性。そこに住んでいた老婆と一緒に英語を教えていた英国人の女性教師。
 彼女たちの関係は、女性性に満ちていて、男性の私にはミステリーに満ちている。何かが起きそうで、あるいは少し何かが始まっているが、決定的なこと、これから起きるだろうことは、そこに提示されない。瞬間的にだが、韓国のキム・ギドク監督の映画の作風を思い出させられた。
 添付した文月悠光(ふづきゆみ:詩人、エッセイスト、歌人でもある?)の評論は、かなり正しい読み方を提示しているかもしれないが、いくつもの読み方ができるのが小説であり(一つの答えしかない論文との違いであり)、そういった意味で、この作品は極めて優れており、一読に値する。是非、読むことをお勧めする。

(追)ヴァージニア・ウルフの本は読んではいないが、何か影響を受けたような気がする。映画「めぐりあう時間たち」(主演:ニコール・キッドマン)が、そうだったように。

2018年4月7日土曜日

「小説は具体性の積み重ね」(朝日新聞2018年3月30日朝刊・文芸時評・純文学/磯崎憲一郎)

 磯崎は、冒頭、下記のように書いていた。とても良い表現(内容)だったので、紹介したい。

「何をどう書いても構わない、一切の定義付けや決まり事を拒むのが小説という言語表現ではあるのだが、しかし多くの書き手が日々実作を続ける中で感じる、小説を小説たらしめている第一の理由とは、具体性をもって描かれる、ということではないか。登場人物の動き、会話、出来事、事物や風景の描写、さらには過去の回想や意識の流れまで含めた、それら具体性の幾重もの積み上げによってしか表し得ない何かを伝えるために、書き手は評論や随筆といった他の散文形式ではなく、小説という方法を選び、書き始めるのだと思う。」

2018年4月5日木曜日

生誕120年 再発見・井伏鱒二(すばる2018年3月号)

 井伏鱒二という作家の作品を初めて読んだのは、中学校(?)の教科書に載っていた「屋根の上のスワン」であった(人によっては、教科書に載っていたのが「山椒魚」という場合もあるようだ)。
 その後、高校生になり市の図書館から夜ふけと梅の花(表紙がハードな新潮文庫)を借り(1971年に、私は「山椒魚」という掲載作品が同じで本の題名だけが異なると思われた新潮文庫を購入)、「山椒魚」を含むいくつかの短編を読んだ<それ以降、短編というものが好きになり、数多くの作家の短編を好んで読んだ>。
 井伏の作品は、私の好みではあったが、筑摩書房から刊行された日本短篇文学全集36で幾つかの短編を読み足しただけと思っていたが、つい今しがた本棚を見ると、「さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記」(新潮文庫)「荻窪風土記」(新潮文庫)があった。そして、自分の生地にある土地の名前がついた「武州鉢形城」という単行本も購入し読んだこと、映画を見るために(見た後に?)、図書館で「黒い雨」を借りて読んだことを思い出した。

 何が自分に合っているのか今は説明できないが、興味は継続している。だから、文芸雑誌「すばる」3月号の新聞広告で特集「生誕120年再発見・井伏鱒二」の活字を見てすぐに、市の図書館に貸し出し予約を入れた。
 11人の井伏に関するエッセイは大して面白くなかったが、野崎歓と堀江敏幸による「友釣りのエクリチュール」と題した対談は、示唆に富み興味深く読んだ。

 21ページにもわたる対談は、内容が濃く、まして十分にこなす能力のない自分が要約するのは難しく、詳しくは自ら手にとって読むことをお勧めするが、キーワードを拾うと以下のようになるだろうか。
・翻訳や原テクストを使った二次的な創作(生のままのテクストと、オモリを仕込んだテクストの二種類を上手に使い分けている)
・テクストに仕込まれたオモリというのは、そのへんに転がっている石や、釣り道具屋で買った鉛ではなく、自分をちぎったもの
・翻訳者であり、仲介者(一次資料として使ったものには真偽をめぐって迷宮入りするしかないような、正体を決めがたいテクストが非常に多い)
・完結しない物語(つねに、すでにあるものへのオマージュを捧げると同時に、自身の作品も次の人に手渡していく「開かれたテクスト」を目指していた)
・ぶれようのない世界が確立(戦前、戦中、戦後と見てあまり変わっていない)
・記憶力、耳の良さ、絵画的(全体の流れに資する表現を内的に見出す記憶のパターンは、絵画的と言っていい。本筋とは関係ない、しかし印象的な描写がすっと入ってくる。それが特徴である)
・血縁ではなく、運命だけで人と人とがつながっていく物語


 「すばる」誌上(2016年5月号~2017年9月号まで隔月連載)で井伏鱒二論を書いたという野崎と、日経新聞の「傍らにいた人」という連載エッセイの中で井伏を取り上げた(2017年3月18日及び25日付)という堀江のキャッチボールは、ファン同士のエールの交換とも言えなくもないが、澱みがなく読むものを倦きさせなかった。

2018年3月2日金曜日

四方田犬彦編著 1968【1】文化(筑摩選書)

 

 最近、好きな作家の小説の感想ばかり投稿しているが、他のいろいろな本も読んでいる。些事にかまけて、あるいは他のブログを優先していて、書けていないというのが正直なところだ。

 1968年が大学2年であり、少なからずその時代に活動したので、この手の著書に今でも非常に興味を持っている。若い頃から数えれば10冊以上は読んでいるであろう。しかしその多くが当時を振り返り、自分の行動(活動)は間違っていない、という主張がほとんどである。私にとって興味があるのは、その時代の活動をどのように発展させ、今に影響を及ぼしているかである。欧米においては、政治や経済活動において、当時の若者が成長し、今の社会にも影響を持っているようにも見えるのであるが、なぜか日本ではそのように見えないのが残念である。理由は、はっきりしている。活動が既存の権威に対する反発だけであり、変革した後の目標を持っていなかったからだ(長期的展望と人材不足が原因)。

 この本は、文化に絞ってまとめられているが、編著者が四方田犬彦であることもあり、「反権威・反権力」で整理されている。文化については、政治経済状況とは異なり、少なからず、当時の活動が影響を及ぼしている。

 この時代には、世界的に「カウンター・カルチャー」が湧き上がり、現在の「サブカルチャー」を中心としたカルチャーを作り出した礎を築いたと言っても過言ではないであろう(1960年代後半の世界的な若者の活動の大きな遺産はカルチャーであるというのが、定説である)。もちろん突然に現れたわけではなく、50年代にはビート世代が新しいカルチャーを志向して動いていた。第二次世界大戦(及び/あるいはその終結)でポッカリ空いた空洞を埋めようと先進的な若者が動いたのがビートであり、ヒッピームーブメントなどを経て、辿り着いた文化であり継続している。


 こういった著書においては致し方ないのであろうが、一方的な見方が強く、その時代の全体像を把握するのは難しい。また、一方的な割には、「反権威・反権力」的活動を網羅的に散りばめ、総花的であり、読む者に強い印象を残さないというのが残念である。