2021年5月31日月曜日

松田青子著「男の子になりたかった女の子になりたかった女の子」

 
 5月21日(2021年)の朝日新聞に、『ウルフの生き方、いまに響く フェミニスト作家、新訳次々・芸術にも影響』という見出しで、最近、ヴァージニア・ウルフが注目され、ファンブックの刊行や評論と小説の翻訳が相次いでいるという記事が掲載された。その中に、『「女性の連帯、世代や時を超える」 オマージュ捧げた作品発表、作家・松田青子さんという中見出しで、題記の作品集が紹介されていた。

 そこには以下のように書かれていた。
 ウルフの『自分だけの部屋』(みすず書房)の訳者川本静子さんによるあとがきに「次世代にバトンを渡す」というメッセージがあります。私の新刊『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』(中央公論新社)はそのときどきの依頼で書いた作品を集めた短編集ですが、こうして1冊にまとめてみると、私もこの本で世代や時を超えた女性の連帯を書きたかったことが見えてきました。そしてその連帯のあり方には様々な形があるということも。

 (収録作の)「向かい合わせの二つの部屋」は団地の隣同士に暮らす年の離れた女性同士の交歓がテーマです。でも、たとえうまく関係が結べなかったとしても、会ったことがなかったとしても、同じ社会に生きているというだけでも、私たちはゆるくつながっているはずです。仕事の面接で短い間同じ部屋にいた女性たちと今からつながりたいと、一人の女性が数年後に願う「クレペリン検査はクレペリン検査の夢を見る」は、連帯の極北みたいな作品です。”


 この文章に釣られて図書館から同書を借りて読んでみた。作品集の題名と同じ作品を最初に読んだ。掌編(他にも掌編がいくつも含まれている)であるのだが、”男の子になりたかった女の子になりたかった女の子”という言葉が繰り返され、非常に読みづらかったせいか、著者の狙いが捕まえきれなかった。そして、次に最初に掲載されている「天使と電子」から順に読んで行ったのだが、エッセイとも受け取れるような軽い感じの作品が多く、読み続ける意欲を失い、「誰のものでもない帽子」、「「物語」」、「斧語り」の3作は、返却期限が迫ったため読むのを放棄してしまった。女子には読んで楽しいかも知れないが、私には好んで読む気になる作品集ではなかった。









2021年5月23日日曜日

中村文則著「逃亡者」


 「R帝国」に比べて、文章が丁寧で読みやすかった。しかし、最後の方になると僕という主語は誰のことなのか分からなくなる。
 新聞の連載であったということなので、その時々の強い思いで書き進めたのか構成がやや乱れている。主題は太平洋戦争時代の軍楽隊のトランペットを巡る話なのだが、主人公的な作家山峰とその彼女アインの血縁、地縁である長崎のキリシタン迫害の歴史、戦時にトランペットを所持して兵士を鼓舞していた鈴木の話で多くのページが費やされている。アインに関する話ではヴェトナムの抵抗の歴史なども挟まる。これら3つの話は面白く次のページに進みたいと意欲をそそる。
 しかし、主題は、鈴木が所持していたトランペットには人を熱狂的にさせる魔力があるという話を信じて新興宗教組織やBという男で代表される正体不明の組織が暗躍し、山峰からトランペットを奪おうとして、暴力で、そして心理で追い詰める話である。新興宗教の方はリーダーが鈴木の知り合いということで探していたのだが、正体不明の組織は何を考えているのかは明示されない。
 今日、狂信的な組織が人を動かすために話を作り上げ、反対勢力には力で揺さぶりをかけ、人権を無視して自らの組織の支配下に置こうとする事が、アンダーグラウンドでは行われているのだろう。そんな話なのだろうか?
 卑近な話では、ネットでフェイクニュースを流し、人の気持を揺さぶり、面白がっている人たちもいるし、そのフェイクニュースを本気で信じて徒党を組もうとする集団もある。ネット社会には見えない闇が潜んでいるのだ。
 時間に余裕がある方には一読をお勧めできる一冊である。


内容(「BOOK」データベースより)

 「君が最もなりたくない人間に、なってもらう」第二次大戦下、“熱狂”“悪魔の楽器”と呼ばれ、ある作戦を不穏な成功に導いたとされる美しきトランペット。あらゆる理不尽が交錯する中、それを隠し持ち逃亡する男にはしかし、ある女性と交わした一つの「約束」があった―。キリシタン迫害から第二次世界大戦、そして現代を貫く大いなる「意志」。中村文学の到達点。 

2021年2月3日水曜日

宇佐美りん著「かか」(第56回文藝賞受賞作)

 


 「推し、燃ゆ」で第164回芥川賞を受賞した作家のデビュー作である。

 いずれその作品も読むつもりではあるが、『推しが炎上した。ままならない人生を引きずり、祈るように推しを推す。そんなある日、推しがファンを殴った』(「BOOK」データベースより)、という推しアイドルと主人公の物語らしい作品より、”母と娘”の物語らしい作品に興味を抱いた。

 「BOOK」では、下記のようにストーリーを要約している。確かに文字にすれば、そのようだろう。しかし、読んだ印象は、もっともやもやしている。

 選考委員の磯崎憲一郎は、第163回芥川賞作家になった、同時受賞の遠野遥との対談で「僕は、小説は語り口がいちばん大事だと思ってます。(中略)昨今は小説が売れないから、意味に回収できる小説の方が、説明しやすくて共感させやすい、つまり出版社が売りやすい。でも、古井由吉さんも金井美恵子さんも、語り口で書いているんですよね。(後略)」

 確かに、私も、物語りの面白さよりも、その意味することを求める傾向にあるし、意味が認められると理解した気になる。

 では、この作品はどうか。主人公は、”かか弁”なるもので話しを進めていくこれがとっつきにくく、すぐに読むのを止めたくなった。しかし、我慢して読み進むうちに、少しずつ慣れてきて集中できるようになった。

 磯崎は選評で、「「かか弁」でこの作品書いたことが、完全に失敗している、・・・」、と言っており、確かに普通の語り口で書いたらどうなるのか、磯崎の言うようにもっと良くなるのか、知りたい気もする。

(閑話休題)

 人公であるうーちゃんは、母が入院する日に、熊野に旅立つのだが、その後のリズムが素晴らしく、それだけで受賞したのだと思われる。宇佐美は、選考委員である村田沙耶香との対談で、「どちらからいうと結末から決めて書いていたので、・・・」、と言っており、彼女が熊野でのうーちゃんの思考や行動に力を入れて書いた、というのは事実だろう。だからといって、後半だけ読むならば、この作品の面白さは味わえないと思う。


作品の内容(「BOOK」データベースより)

 19歳の浪人生うーちゃんは、大好きな母親=かかのことで切実に悩んでいる。かかは離婚を機に徐々に心を病み、酒を飲んでは暴れることを繰り返すようになった。鍵をかけたちいさなSNSの空間だけが、うーちゃんの心をなぐさめる。脆い母、身勝手な父、女性に生まれたこと、血縁で繋がる家族という単位…自分を縛るすべてが恨めしく、縛られる自分が何より歯がゆいうーちゃん。彼女はある無謀な祈りを抱え、熊野へと旅立つ―。未開の感性が生み出す、勢いと魅力溢れる語り。痛切な愛と自立を描き切った、20歳のデビュー小説。


2021年1月14日木曜日

遠野遥著「改良」

 

 芥川賞受賞者の処女作で、第56回文藝賞受賞作である。本のキャプションにあるとおり、この作品の主人公は ”女になりたいのではない「私」でありたい/ゆるやかな絶望を生きる男が唯一求めたのは、美しくなることだった”

 主人公である山田は、美しくなるために女装をする(勉強する)。でも女になりたいわけではなく、デリバリーヘルスのカオリを自宅に呼んだり、カオリを思い出して自慰をしたりするし、また同僚のつくねと寝たいと思ったりする、男である。カオリの常連客になったある時、美しいと言ってもらいたくて、オフホワイトのニットに灰色のロングスカートで彼女を迎える。しかし、カオリは勘違いし、スカートを自分でまくれと命令し、タイツと下着をふとももまで下ろし、性器を触り続ける。そして、性器をいらないよね?とっちゃおうか?、と言う。それは、山田がまったく望んでいなかったことで、怒りを覚え、カオリの手首を掴み、投げ捨てるように振り払う。そして鏡が割れ、思わぬ事態に追い込まれる。

 こんなストーリーだが、外の風景も主人公たちの心象風景もほとんど語られない。流れるのはマンガのカットのようなできごとばかり。そう、これはマンガの原作とも言える作品、と私は思う。

著者は、芥川賞受賞の際に、いろいろなストーリーが浮かんできて、次々と作品を生み出すことができる、と話しているが、受賞作である「破局」についてもこの作品ほどではないが、すべては自分次第と思ってる主人公の日常行動を描き、二人の女声の間をうろうろする時代の風俗をメッセージ的に描いている、空虚な作品である。

 ただ、思うに、諸相が秒単位で変わるような今の世の中では、マンガのような映像を次々と描いた作品が読まれるのかも知れない。もはや美しい文章や難しい心象風景の描写など好まれず、必要ないのかも知れない。

2021年1月12日火曜日

斎藤美奈子著「中古典のすすめ」



 「中古典」とは著者斎藤美奈子の造語で、「古典未満の中途半端に古いベストセラー」を指すという。文学研究の世界では、「古典」とは上代から近世までの文学のことで、近代以降は「古典」とは呼ばないというが、現代人の感覚では夏目漱石や森鴎外は充分に古典だろう、と言う。

 「中古典」は歴史的な評価が定まっていない本で、「古典」に昇格するか否かは現時点では神のみぞ知るとも言う。本書では1960年代から90年代初頭までの計48冊を取り上げている。本人も書いているが、取り上げられた本は彼女の趣味が反映していることは否めないが、なかなかうまく選んでいると思う。

 本書の元になった文章は、紀伊國屋書店のPR誌「scripta(スクリプタ)」の連載「中古典ノスゝメ」である。2006年から14年間連載したらしいが、今回上梓するの当たって大幅に書き直したという。7月にあとがきを書いているが、新型コロナウィルス禍を考慮しての書き換えも認められた。


 斎藤美奈子という名前は知っていたし、面白そうな活動をしていそうだと思ってはいたが、朝日新聞の書評で読んだくらいで、まとまった本を読んでいなかった。今回読んで、なかなか面白いと思った。女性から見た考えも散見するが、余り読者の世代、ジェンダーを気にしていないような書きっぷりが、爽やかとも言える。

 この本の中では、取り上げられた本の批評以外に、似たような著作も取り上げられていて、同類の著作が俯瞰できる。

 著者は、取り上げた作品を、1)若者たちの生態を映す青春小説、2)「自立の時代」の女性エッセイ、3)反省モードから生まれた社会派ノンフィクション、4)懲りずに湧いてくる日本人論、に整理している。確かに、そのように思える。

 各作品の名作度と使える度を星印で3段階に表している。総じて、60年代には甘く、日本人論には厳しいように思えた。

名作度で星 3つ:

橋のない川、日本の思想、キューポラ、江分利満氏、白い巨塔、文明の生態史観、あゝ野麦峠、どくとるマンボウ、赤頭巾ちゃん、日本沈没、自動車絶望工場、兎の眼、桃尻娘、原発、悪魔の飽食、なんとなく、窓ぎわの

使える度で星 3つ:

橋のない川、感傷旅行、あゝ野麦峠、青春の蹉跌、どくとるマンボウ、自動車絶望工場、兎の眼、スローな、桃尻娘、原発、悪魔の飽食、窓ぎわの、見栄講座、極東


因みに私が見たり読んだりした作品は多くはない。

読書:日本の思想、わたしが・、されど、どくとるマンボウ、二十歳の、自動車絶望工場(?)、スローな(?)、四季・奈津子(?)、蒼い時、なんとなく、ノルウェイの(11作品、23%)

映画(ドラマ):キューポラ、江分利満氏、わたしが・、白い巨塔(ドラマも)、あゝ野麦峠(?)、青春の蹉跌(ドラマのみ)、日本沈没、ひとひらの雪、ノルウェイの(9作品)