2015年12月30日水曜日

柿崎明二 著「検証 安倍イズムー胎動する新国家主義」(岩波新書)


 この本は安倍首相の思考と意志を、国会審議や政府の会議の議事録、著作、公表された提言、報告書など「首相自身の言葉」から探ったもので、関係者からの伝聞に頼っていない分、確からしかがある本になっている。もちろん、著者の見解がそれに加わっているので、「絶対的な客観性」(そんなものはこの世の中にないかもしれないが)が担保されているわけではない。しかし、一読に値する本と私は思う。
 私はこの本を読んで、安倍イズムのキーワードは大きく2つあると思えた。一つ目は占領レジームからの脱却、二つ目は国家主導主義である。
 安倍首相は、祖父の岸信介の考えに基づいて、岸がやり残した事を実現しようとしている、と良く言われている。すなわち、それが「戦後レジームからの脱却」である。具体的には、占領下の7年間は「日本の歴史の断絶」と、とらえている。だから、自らの手で戦前につなげるべく変えていこうという考えである。しかしながら、戦勝国が考えているような「戦後レジーム」ではない。そんな事を言い出したら国際的(外交的)にとんでもない話しになってしまう。もちろん、本音はそこにあるのかもしれない。「戦後レジーム」、つまるところ「占領レジーム」の基層である。すなわち、憲法、教育基本法など占領当時に制定された法律は、日本国の手になるものでない(米国のニューディーラーの手になるものである)ので改正すべきという事である。すでに教育基本法は変えられてしまった。憲法も改正の危機にある。岸信介は、現行憲法を「全面的に検討して自主憲法を制定して独立を完成させる」という認識を持っていたという。憲法を改正してはじめて真の独立を勝ち得た事になるというのだが、一方で、依然として米軍基地が沖縄をはじめとして、各地に存在し、しかも「おもいやり予算」まで支払っているのをどう考えるべきであろうか?対米従属の外交姿勢を取り、世界の各国から「米国の周縁国」と思われてしまっているのをどう考えるべきなのだろうか?
 岸はまた、北一輝やドイツの産業合理化運動に共鳴した事から、統制経済、国家主導主義を推進した。安倍もこれを受け継いでいる。あらゆる分野に国家が関わっていくべきだと考えているようであるが、それを実践していく安倍の考える国家とは「個人の自由を担保しているのは国家である」、というものである。そして、そこには、国家の最高責任者は安倍であるという認識がある。確かに国民に選ばれた立法府の与党第1党の総裁は安倍であることは間違いなく、行政府の長であることも間違いではない。しかし、主権は国民にある(主権在民)ことを忘れてはいけない。国民国家に於いて、主権者は国民である。安倍が立憲主義を「専制主義的な王制時代の古色蒼然とした考え方」と位置づけるのも、彼の国家観に基づいている。「国民のため」よりも「国家のため」がいつの間にか軍靴が響くようになってしまわないか、私は危惧する。

追)
 本の内容とは離れるが、安倍さんは「強い日本」を望んでいるような気がしてならない。アナクロニズムではあるが、侮ってはいけない。世界の国を見るとロシアや中国だけではなく、米国や英国、ハンガリー、スペイン、ギリシャ、あるいはフランスやドイツ、ベルギーなどだって「強い○○国」を目指している(そのような人の擡頭が目立つ)。左翼政権が、ハンガリーのように右にぶれる場合もあるし、ギリシャのようにより左にぶれる場合もある。ポピュリズムという名の右寄りの主張が世界を席巻しつつあるような気もする。「力」と「力」のぶつかり合いは避けたい。安倍さんが、日本には「力」があると勘違いして突出する事は何としてでも避けたい。2016年は正念場だ。参議院議員選挙、場合によっては改憲の是非と問う国民投票もある。

2015年9月20日日曜日

川上未映子「苺ジャムから苺をひけば」(新潮2015年9月号掲載)

 240枚の中編である。
(目次には次のように要約されている)
(知ってしまったお父さんの秘密。それはわたしに関わりのある秘密。襲いかかる過去と対峙する少女は、少年と二人だけの冒険に出る。)

 パソコンを使って6年の間に社会で起きた出来事をまとめるという授業の後、班の仲間がみんな先に本当の教室に戻ってしまったので、一人残された小学6年の主人公通称ヘガティが画面に見たものは、映画評論家の父親には離婚経験があり、元の妻との間に女の子をもうけていたというもの。その日から彼女の生活が変わる。自分と亡くなった母、そして父の関係の中に、半分血のつながった姉が入り込んでくる。彼女にとっては自我が目覚める時期に当たったのだろうか?その姉がどんな風なのか見たくなり、父のスマホのアドレス帳から元の妻の住所を盗み見て、友達の麦くんと出かけて行く。それからどんな事が起こるのかは読んでのお楽しみである。
 姉に会って満足し、父と”和解”したような感じになるのだが、本当の事は麦くんや父が説明したような事なのかは分からない。いじわるく大人の感覚で思うならば、更に何かがあっても不思議ではない。
 次のページを見たいと思わせる筆力は相も変わらず凄いと思う反面、ストーリーとテーマはどこにでもありそうで平凡である。これまでの川上未映子の作品よりは少し劣ると感じた。


 しかし、この題名は誰が考えたのだろうか?どういう意味なのだろうか?食べ物の苺ジャムから苺を引いてしまえば何も残らない(?)。字面の上ではジャムが残る。英語のjam(名詞)ならば、食べ物のジャムだけではなく、混雑、窮地、苦境、紙づまり、ピンチという意味がある(英辞郎より)。本当はどういう事を意味したのだろうか?

2015年9月4日金曜日

ジョン・ハーシー著「ヒロシマ(増補版)」

 NHKのドキュメンタリー番組(キャノン・ハーシー”ヒロシマ”への旅~なぜ祖父は語らなかったのか~)の宣伝でこの本を知った。

 著者ジョン・ハーシーは「アダモの鐘」(1944年出版)で1945年のピュリッツァ賞(小説部門)を受賞した、タイムやライフ、ニューヨーカーで活躍した記者である。
 彼は従軍記者として1946年5月に広島を訪れ、1946年8月31日発行のニューヨーカーにこの著作を載せた。全誌を一編の作品で埋めたのはこの雑誌としては初めての事だったという。発売一日で30万部を売り尽くし、各地の大新聞は連日この作品を連載したという。
 この作品は小説ではない。6人の被爆者の行動を追ったノンフィクション(ドキュメンタリー)である。彼らはどのようにして被爆したのか、またその後、どのように行動したのか。数日後、数カ月後どうなったのか。
 その無駄のない文章や内容が私の気持ちを引きつけて、それからどうしたのかどうしたのかと、次のページをめくる事を催促する。そんな興味深い作品である。

 佐々木とし子さんは、東洋製缶の人事課員で事務室の自分の席に座っていた。藤井正和博士は、自分の病院の縁側で新聞を読もうとしていた。仕立て屋の後家である中村初代さんは、台所の窓際で隣家の取り壊しを眺めていた。クラインゾルゲ神父は、宣教師館の3階の簡易ベットに横になりイエズス会の雑誌を読んでいた。赤十字病院の外科医である佐々木輝文さんは、梅毒診断用の血液標本を持って病院の廊下を歩いていた。広島メソジスト教会の牧師の谷本清さんは、市の西郊外の己斐(こい)の豪家の門前で疎開荷物を下ろしかけていた。
 選ばれた人たちは女性が2人、男性が4人。経歴も仕事もまちまちであるが、男性全てが、医者、神父、牧師であり、いわゆる人を助けるべき役割を担っている人であるのは偶然ではないだろう。この4人は、原爆投下の当日から人助けのために奔走する。その活躍には目を見張るものがある。また、女性2人も時間が経つとともに被爆者のために活躍する。これは、たまたまなのだろうか。いや、多くの被爆者が、自分のできる範囲で何とか人のために役に立ちたいと思い行動した証左ではないだろうか。
 この作品の良い所は、被爆者がどのくらいであったか、どの範囲に及んだかなどの、いわゆる大きな記録ではない所である。被爆後、個人個人がどのように活動し、暮してきたかという、小さな記録であるという所である。だから、興味深く読み進めるのだと思う。

 ハーシーは1985年4月に再び広島を訪れ、6人のその後を取材した。その成果はニューヨーカー7月15日号に一括掲載された(この本には、第5章「ヒロシマ その後」として載せられている)。
 増補版訳者である明田川融氏は、あとがきで次のように書いている。
「中村さんは平穏な家庭に幸福を見いだしていった。佐々木輝文博士は臨死体験をしたことにより、その後の人生を高齢者医療に捧げる。ウィリヘルム・クラインゾルゲ神父は、遠慮の精神を実践しながら信仰と愛に生きる。佐々木とし子さんは、そのクラインゾルゲ神父に導かれてカトリックに入信し、孤児院や老人養護施設で奉仕する。さらに藤井正和博士は、原爆症を発症することもなく、医師として幸福な人生を送るかに見えたが、不慮の事故から不遇の死を遂げる。彼らの被爆後の四〇年の軌跡は、戦後日本に生きた多くの人々がたどった軌跡の象徴であり、その間に生じたさまざまな問題やそれとの葛藤、その間に失ったもの、あるいは失いつつあるものについて、私たちに静かに語りかけてこないではいない。」
 このように書かれると、彼らは被爆者ではあっても、他の国民と変わりないような生活を送ってきたように思えないではないが、決してそうではないと思う。やはり彼らは被爆者としての苦労を背負ってきたのではないかと思う。

 そして、この本の訳者でもある谷本清牧師は、路上伝道、流川(ながれがわ)教会復興運動、ピース・センターの創設、ケロイドを負った女性たちが整形手術を受けるための支援、原爆孤児に対してアメリカ人の里親が経済的援助をする精神養子縁組活動への支援、全米各地での反核講演行脚など多面に渡って活躍をしたが、原水協運動が始まった時点での日本不在や政治的な運動への拒否、米国の支援者との力関係から、残念ながら日本における原爆反対運動の中心的な活動家とはなり得なかった。しかし、彼の起こした活動が無意味なものとは私には思えない。草の根的な活動が大きな活動を呼び起こしたと言えるのではないだろうか。

2015年8月26日水曜日

古市憲寿 著「誰も戦争を教えてくれなかった」

 2011年のお正月に、著者はハワイでパールハーバー(アリゾナ・メモリアル)を訪問する。「その博物館は、とても「爽やか」で「楽しい」ものだった。」
 では、他の国では、他の場所では、戦争はどのように記憶されているのだろう。そんな素朴な気持ちで博物館巡りが始まる。戦争博物館へ行けば、その国が戦争をどのように考え、それをどう記憶しているのかを知ることができる。訪れた国の「国家観」や「戦争観」を、展示を見ながら感じることができる、と著者は考えた。
 そこで、2011年1月から2013年4月の間に47の「戦争博物館」を訪れた。中国の南京大虐殺紀念館、長春の偽満皇宮博物館、シンガポールのシロソ要塞、香港の海事博物館、ポーランドのアウシュビッツ、ベルリンのユダヤ博物館、ローマの解放歴史博物館、韓国の独立紀念館、戦争記念館、そして広島、沖縄などだ。
 
 著者が興味を持ったのは、戦争そのものではなかった。なぜそれでも、日本人は「戦争」を選んだのか、日本軍が敗れた失敗の本質はどこにあったのか、どうして敗戦を抱きしめなくてはならなかったのか。それらのテーマは、著者の関心の中心ではなかった。著者は史実そのものではなくて、「戦争の残し方」の違いに心を惹かれた、と言う。
 歴史を扱う博物館は。決して死物の貯蔵庫ではない、歴史の再審のたびに展示内容が書き換えられ、その表現が変わる、生きた「現在」の場である、と言う。だから、いま国家がどのように戦争を残したいのかが見えてくる、と言う。

 しかし、この本の博物館のレビューに大きな期待を抱いてはいけない。そもそもこの本のためだけに現地を訪れたわけではないものがかなりあるらしい。展示が説明されているのは限られたいくつかの博物館だ。そして、著者の立場は、戦後+40で生まれた若者である。戦争のことは殆ど知らないという立場から、反戦(厭戦)でもなく、もちろん好戦でもなく、フラットに、いかに展示がうまく見せられているかを説明することに終始している。新しい技術を使用して、若者や子供たち、つまりこれからの時代の中心になる者たちが、「楽しく」展示を見ていけるかに(いかにエンターテインとメント性を持たせているかに)着目する。一方、矛盾するようだが、新しい技術はいずれ古びてしまうので、アウシュビッツのように「場の力」に頼ることが良いとも述べる。

 また一方では、「歴史に関する博物館を作ること。教科書を作ること。それは、ある時代を「大きな記憶」として次の世代へ継承することである。いくら両論併記しようと、たとえ中立的な記述を心がけようと、設計者や製作者は何かを選び、何かを捨てて歴史を記述せざるを得ない。だけど本当は、経験者の数だけ、いやそれ以上に「戦争」の姿がある。(中略)そうした数えきれないくらいの「小さな記憶」が取捨選択され、「大きな記憶」が紡がれる。平和博物館とは、まさに「小さな記憶」を拾い集めて、「大きな記憶」として次の時代へ残していく試みに他ならない。しかし、「小さな記憶」同士は往々にして食い違うこともあるだろうし、そうして集められた「大きな記憶」同士も時にぶつかり合う。そもそも「小さな記憶」を素直に拾い集め、つなげたところで、それがそのまま「大きな記憶」になるわけではない。(後略)」、と戦争(平和)博物館を否定する。

 第二次世界大戦は70年前に終結した。その後、主権国家同士の戦争(大きな戦争)が減少する一方、今でも世界各地では内線や部族間の紛争、テロなどの「小さな戦争」が続いている。
 防衛の担い手も国家による正規軍から民間の委託業者に移行しつつあり、戦闘もロボットや無人機などによるものが増えつつある。そんな中で、70年前に終った「古い戦争」の記憶を展示し、悲惨さを訴えることが、かえって現代の「小さな戦争」に対する想像力を奪うことにつながるかも知れない、と言う。
 ここでも現在の戦争(平和)博物館を否定している。
 
 結局、著者は何を言いたいのだろうか?

 もう70年前の「大きな戦争」の「大きな記憶」を残しても、平和にはつながらない。むしろ、「小さな記憶」を語り継ぎ、引き継ぐことの方が、これから起こる「小さな戦争」を防ぐ力になるのではないかと言いたいのではないだろうか?

2015年8月18日火曜日

金原ひとみ著「持たざる者」(2)

 私は、この小説で著者が訴えたかったことではないかと思われる部分に付箋をしていた。
 前の投稿で私が書いたことと食い違っているかも知れないが、以下に引用する。単行本の140ページ(「eri」の章)、エリカがロンドン生活でふと現在の心境を語る部分だ。

『(前略)そうして震災から一年が過ぎた頃、私はふと、唯一無二の存在だったと思っていた自分自身が、いつからか多数の人々に埋もれる一つの点になっている事に気がついた。元々、私は点だったはずだ。自分は唯一無二であるという私の幻想、思い込みが打ち砕かれただけだ。でも幻想という無味無臭無形の物を打ち砕かれたくらい何だ、とは思えなかった。震災よりも原発事故よりも移住よりも言葉の通じない生活よりも、私にとって最も辛かったのは自分自身やセイラ、そして自分自身を取り巻く環境を唯一無二と思えなくなった事だった。自分を唯一無二と思うその幻想は、余裕の象徴なのかも知れない。例えば裸族や戦争中の国に中二病や引きこもりがいないように、自我の病はある一定の水準を満たした環境に於いてのみ発症する。私は自我の病を、自分が唯一無二の存在であるという思い込みを、この異国の地で喪失した。それがとてつもなく辛かった。私が直面したのは、既に震災でも原発事故でも放射能でもなく、それによって浮き彫りになった己の本来性の問題だった、。私は、埋もれる点として生きていく事の難しさに直面していた。これまで生きてきた世界とは、何もかもが違っていた。生の価値も、死の価値も、愛の価値も、祈りの価値も、全てがこれまでとは違っていた。その事に気づいたのは、こんな世界で生きていけないと悲観するほど早くはなく、大丈夫これまでもうまくやってきたんだから、と楽観するほど遅くもなかった。』


 ここでは、自我の喪失に直面し、どう生きていくかに迷うエリカの姿が描かれている。

2015年8月17日月曜日

金原ひとみ著「持たざる者」

 この作品は、四人の物語からなる。
 第一章Shuは、グラフィックデザイナー修人の物語。3.11震災後、妻子への放射能汚染を恐れ、遠隔地に避難させようとして、妻との中がうまくいかなくなり離婚。仕事もできなくなる。
 第二章Chi-zuは、夫の赴任先のシンガポールから一時帰国している修人の友人の千鶴の物語。子供の頃から、自分の生きたいように生きている妹のエリカに嫉妬してきた。数年前にパリで幼い息子を突然死でなくし、全ての欲望から解放され、見放されている。修人を誘い、行きずりのセックスをする。
 第三章eriは、千鶴の妹で娘とともに被爆を畏れてロンドンに移住しているエリカの物語。自由に暮して来たつもりが、常に孤立していた事を自覚する。ベルギー人の若者と出会い、アメリカへの更なる移住を決意する。
 第四章朱里(あかり)は、エリカと顔見知りで、夫の異動で日本に帰国する朱里の物語。ロンドンが性に合わず、喜んで夫より先に帰国するが、自宅が義兄夫婦に乗っ取られていて大きなストレスを感じる。

 これは、著者が3.11震災で受けた衝撃と経験した移住生活を基に書かれたのは間違いないが、震災や原発問題について書いた作品ではない自然災害や人間関係(生活環境)に依って大きな影響を受け、自分ではどうにもできない現実に曝される人たちの物語である。彼らは、生きる力を失いそうになったりするが、それでも何らかの力を得て生き続けようとする。これは、人間というものが必ず出会う、自然や他者とのコミュニケーションを問う物語である。だからこそ、そこに普遍的な物語がある。どんな人間だって、悩み、傷つきながらも、希望を持って生きる事を望んでいる筈だ。そんな希望が絶たれる事のない世界を私は望む。


 金原ひとみの作品としては、肩が凝らずにスムーズに読む事ができる作品であり、お勧めである。著者は、「修人とエリナは、震災の影響を受けて特殊な環境に身を置くことになった人たちですが、朱里はちがう。彼女のような、下世話で通俗性を持った人間も書いておくことで、この作品はバランスがとれた気がしています。」、と言っているが、私は「朱里」の章には違和感を感じた。漢字(「朱里」)で章題がつけられているように、他の3つの章とは趣きが違い過ぎるのではないか?

2015年7月20日月曜日

多和田葉子の連作小説:ベルリンを舞台に(「新潮」連載)

 多和田葉子が文芸雑誌「新潮」に連載している連作小説を継続して読んでいる。
 昔は雑誌も単行本も文庫もすべて買って読んでいたのだが、今は保管スペースや費用の問題もあり、市の図書館で借りる事が多い。この連作も図書館から借りた雑誌で読んでいる。
 題材はベルリンの街。最近、彼女の小説は言葉遊びが過ぎたり、凝ったテーマを無理矢理探してきて作ったような作品が多かったが、これは従来にも増して”爽やかな”作品である。
 連作も未だ5作目なので本当の姿は分からないが、ベルリンに実在する通りや広場を闊歩する主人公の印象や感想が何ともいえず爽やかである。一緒に散歩しているような気分にさせられる。
 いつもながらの欧州生まれではない異邦人の辛口批評と異邦人への眼差しは変わらないが、言葉遊びは少し控えめである。
 ”あの人”、という言葉が時々出てくる。しかしその人は未だ顔を見せていない。いつになったらどんな顔を見せるのだろうか楽しみである。
 皆さんにも一読をお勧めする。

以下は、各連作の題名、掲載された雑誌の目次に書かれたコメントである。
連作1:カント通り(2014年6月号)
連作2:カール・マルクス通(2014年9月号)
    あの人を待ちながらベルリンを歩けば、物が言を呼び、言が思いを招く。
    魅惑の都市小説。
連作3:マルティン・ルター通(2014年12月号)
    都会の喧噪とは無縁の通りも一つの宇宙。ベルリンの五感を揺さぶり、
    歴史を囁く。
連作4:レネー・シンテニス広場(2015年4月号)
    郵便局、ジャマイカの旗、彫刻家ーー言葉をイメージが豊かに織りなす
    都市遊歩。
連作5:ローザ・ルクセンブルク通り(2015年7月号)
    都市が記憶する歴史屁の、めくるめく遊歩。

2015年7月17日金曜日

金原ひとみ作「軽薄」(新潮2015年7月号掲載)

 原稿用紙400枚(126ページ)一挙掲載、金原ひとみ、久しぶりの力作である。
 英国帰りで年上の夫との間に男の子がいる30歳の主人公(カナ)は、建築を専攻している米国帰りの19歳の甥(弘斗)に夫が持っている建築の本を届けたことから思いもかけず(禁断の)関係を結んでしまう。
 カナは、若い時に恋人を裏切ったことからストーカー被害にあい、その男によって背中を刺された過去を持っている。その時から、彼女は人に対して特別な感情を持たなくなってしまった。弘斗に対しても突き詰めて考えれば、セックスでのつながりであると認識している。しかも彼は米国滞在中に暴力事件を起こしていた。その事件の真相を知り、一時は別れることを考えるが、知人のパーティでの事件をきっかけに彼と共に歩もうと決心する。その理由は、恋人を裏切ったという過去を繰り返さないために、彼との関係を自分から壊すべきではないと思うのだ。
 これは第三者を排除した二人の関係を大事に思う愛の物語のようではあるが、決してそうではない。カナが弘斗の父に語る次のような言葉が証明している。
 「(前略)何でもあり楽しきゃいいで快楽主義に甘んじている人間より、守るべき倫理を持っている人間の方が、人として魅力的じゃないでしょうか」
 「それは何を守っているかによるでしょう」
 「もちろん。でも、彼の倫理は個人的な美意識や価値観に則っているものだと思います。彼は個人的に彼女と付き合い、二人の価値観に則って関係を築き上げ最後は暴力に訴えた。彼らの関係を知らずに、彼のとった行動だけを見て、彼を信用出来なくなったと喚くのはお門違い難じゃないかと。(後略)」
 つまり関係性と言うものは、お互いの倫理観に則っているのであって、それを破るのはルール違反だと言いたいのだろう。しかし、この考えは世界を二人だけのものと見ていて、外に開いてはいない。とりわけ性愛に基づいている場合、二人以外の世界をどんなに無視しても、必ず侵略してきてほころびが出る。その時、二人の関係は必ず一方の裏切りという形で現れるものではないだろうか?

 金原ひとみの作家としての力量は素晴らしいと思うのだが、この性愛に敏感な女性特有の論理は、一見、普遍的な論理の様ではあるが、個人的な、外に開かれていない、感性に寄りかかっっている理屈、だと私は感じる。


 この作品は、エピソードが重要なのではない。「蛇にピアス」の様に映画化されるだけのエピソードを連ねているが、全体を貫く主題がある。エンタテイメントに終わらない作品というものは、そういうもののような気がする。

2015年6月8日月曜日

車谷長吉著「赤目四十八瀧心中未遂」

 
 5月17日に車谷長吉さんが亡くなられた。69歳であった。
 早速、直木賞受賞作である「赤目四十八瀧心中未遂(ーしじゅうやたきー)」文春文庫版を図書館から借りて読んだ。
 車谷の作品の多くは私小説とされる。私は短篇全集などに含まれている以外には嘉村磯多などの私小説と言われる作品を意識して読んだことはない。他に読むべき作品があったというだけで、特別な理由はない。だから私は私小説なるものがどのようなものかは良く分からない。どうも作者が経験したことを素材にして、とりわけ一人称(場合によっては三人称)で書く作品を私小説というらしいが、多くの小説は作者が経験したことを踏まえて書かれているから、その密度がとりわけ大きいものを指して、そう分類しているのであろう。
 私小説であろうがなかろうが、読んで面白いと感じられれば、良い小説である。そう言った意味で、この作品は良いエンタテイメントであった。
 この作品は、私(生島)が東京に戻って再び会社員になってからの心境などで始まり、あいだに物語を挟んで、最後にまた東京に戻ってからの行動で終わっている。私はこの構成をレビューして初めて認識した。私が読んだ内容をすぐに忘れてしまうせいもあるのだが、あいだの物語の印象がそれだけ強かったという事であると思う。この始めと終わりの章は、主たる(あいだの)物語を私(作者)がいかにも経験したという証しのために補完的に書かれた章であり、もし作家がもっと長生きしていたならば、構成上分かり易くなるように縮めたのではないかと思う。
(ついでに言えば、山根という新聞社に勤める知人がわざわざ訪ねてきて、小説を書くことを薦めるのも、同様の仕掛けである)

 それはともかく、私(生島)は大学を出て東京日本橋にある(大手の有名)広告代理店に就職したのであるが、仕事が嫌になり、また諸般の事情から身を持ち崩し、姫路、京都、神戸、西ノ宮、そして尼ヶ崎(アマ)へと流れて来る。そこで伊賀屋の臓物(モツ)の串刺しを仕事として引き受ける。仕事は、暗い安アパートの二階の部屋で、朝から晩までずっとやらなければならないものであるが、私はそれを休みもとらずにやり続ける。やり続けられるのは、私(生島)がすべてを捨て、何も考えていないからではない。何も考えない人間に、この苦行をすることはできない。私(生島)がインテリで虚無になりたいと思い、自分を落としていこうとするからだ。だからその底は見えないほど暗い。仮に本当にすべてを捨てようとするならば、その底は抜けており、明るいはずだ。

 物語は、その一日中暗いアパートを中心に日々繰り広げられる生活ー刺青の彫り師である彫眉と情人(愛人)のアヤちゃん、息子の晋平との触れあい、夜になると男を連れ込む辻姫(娼婦)と男たちの話し声、時々来る伊賀屋の主人せい子ねえさんとの会話などーを綴りながら、男がゾクッとする(男の象徴が勝手に歌を歌い出すような)ほど美しい女性アヤちゃんとの成行き上のまぐわい、逃避行、心中未遂へと進展していく。
 アヤちゃんは、兄が組の金を使い込んだために、代金の替わりとして博多に行くことを余儀なくされている。博多に行けばシャブ漬けにされ、身を売らねばならず、最後には骨がぼろぼろになり、使い物になったならなくなった時点で捨てられてしまうことが必定である。だから、逃げる。兄が殺されても良いから、私(生島)とともに赤目四十八瀧に行って死のうとする(振りをする)。成り行きでついてきた私(生島)の眼を見て、この人を道連れに出来ないとアヤちゃんは心中を断念する。そして、戻りの電車の扉の閉まる直前に降り、私(生島)と別れてしまう。その結末は、いかにもアヤちゃんが苦界に身を沈めるために博多に行く決意をしたように思わせているが、本当にそうだろうか?
 今(昭和50年頃)の世の中に、組の金を使い込み、追われているようなヤクザな兄の替わりになって苦界に身を沈めようなどという女はいるだろうか?多分、昭和20年代から40年代にもいないだろう。いや、親であれば別であるが、それ以前にも、そんな女はいなかったのではないか?

 作者は私小説のように見せかけて、話しを作っている。勿論、創作なのですべてが作者の経験したことでもないし、誇張も嘘もあって当たり前だ。だが、私たちは経験していない、あるいは知識のないことに関しては、あたかも作者が書いた事を経験した事のように思いがちだ。作者はそれを良く知っていて物語を作っている。そして我々はそれに踊らされる。冷静に考えてみれば、この(あいだの)物語に書かれた事柄のすべてが、どこかの本に既に書かれているような(あるい映画で描かれているような)ステロタイプな事柄のの誇張(面白可笑しくした話し)と受け取られる。
 しかし、作者にとっては、そんな物語は読者に面白可笑しく読んで貰うための仕掛けであり、どう読まれてもどうでも良い。本当は、それまで身につけてきたことの全てを捨て、どこまでも落ちてゆきたいと願いながら落ちられなかったインテリの私(生島)の生き様と虚無を知って欲しかったのではないだろうか?

2015年5月29日金曜日

イヴォンヌの香り

 今月初めの朝日新聞の書評欄でパトリック・モディアノの「地平線」について読んだ。面白そうだと思ったので、直ぐに図書館に予約を入れた。その時、この著者が昨年のノーベル賞作家であることを知った。また、ウィキペディアを見ると、「イヴォンヌの香り」の作者でもあった。「イヴォンヌの香り」は私の好きなパトリス・ルコントが映画化しており、当然の事ながら鑑賞済みである。ルコントの映画は何作か見ているが、それらの殆どはミステリアスな恋、というか、ちょっと秘密じみた恋の物語なのだが、「イヴォンヌの香り」はそれ程ミステリアスではなかったという印象があった(もっとも、昨年の暮れに見た「暮れ逢い」は本格的なラブストーリーだったが)。
 偶々であったが、スポーツジムの帰りに寄る本屋の棚に「イヴォンヌの香り」があったので、手にとってパラパラめくってみた。ルコントの映画を憶えていたわけではないのだが、何故かルコントの映画の内容とは違えるように思えた。だから、早速この作品を図書館で借りて読んだ。

 ふらりとジュネーヴに近い湖畔の避暑地に現れた十八歳の青年が、現地で女優だと称する女性を恋する不思議な物語である(筋書きについては、訳者のあとがきに要約されているので参照されたし)。
 青年はアルジェリア戦争の兵役逃れのためにスイスとの国境にやってきたのか、本名は何というのか、どんな素性なのか、父親と青年の過去の暮らしは本当の話なのか、イヴォンヌの友人の医師マントの本当の仕事は何なのか、やはりミステリアスな作品ではある。あらすじはともかく、ヴィクトール・シュマラ伯爵と名乗る青年になったつもりで、この小説の中でイヴォンヌとともに過ごしてみたいな、と思わせられる楽しい作品である。是非、一読される事をお勧めする。

2015年5月17日日曜日

対談 日本語と英語のあいだで(水村美苗、鴻巣友季子:すばる2015年5月号掲載)

 作家である水村美苗と翻訳家の鴻巣友季子との対談「日本語と英語のあいだで」(文芸雑誌「すばる」2015年5月号掲載)を読んだ。水村は小説家、評論家として活躍中であり、鴻巣は翻訳家の中でも著名である。
 水村は「續明暗」(漱石の未完小説「明暗」の続編)で世を賑わせた。当時、彼女は全くの無名であり、話題作りではないかと私は疑いの目で見ていたので、直ぐには読まなかったのだが、その後大分経ってから読んで、”目から鱗が落ちた”感じがした。漱石の筆致を思わせる作品であり、感激した。その後、「私小説」を読み、彼女が一発屋ではない事を確認した。今は彼女のファンであるが、それ以降、「日本語が亡びるとき」しか読んでいない。
(閑話休題)
 この対談は、エミリー・ブロンテ作「嵐が丘の第九章及び第十五章を水村が翻訳し、鴻巣の翻訳(新潮文庫)と比較しながら話しを進めている(因みに、水村が書いた「本格小説」は「嵐が丘」の翻案だという。近々、両方読んでみようと思う)。従って、やや専門的な面があり、一般人が読むには面白くない点も多々あった。
 私は、以下の話しに興味を持った。
水村 (前略)欧米における「透明な翻訳」とは、もともと自国語で書かれたかのような訳文を指す。それに対し、日本では、逆に原文が透けて見えてこれは翻訳だとわかるような訳文のことを指す、ということですね。(中略)周縁的な日本では、翻訳があって当然で、翻訳の文章は、普段使っている「日本語」とは違って構わないという大前提がありますよね。
鴻巣 だから、あえて引っかかりのある異化翻訳もできます。それが日本での「透明な翻訳」です。
*この論議を読んで、私が翻訳物を長い間読まなかった原因が判明した。この日本での「透明な翻訳」が原因である。
鴻巣 (前略)水村さんはよくご存じだと思いますが、T・S・エリオットは「伝統と個人の才能」という有名なエッセイでこういうことを言っています。新たな芸術作品が生まれるさい、過去の作品との比較対照による評価を受けるなら、全く同じことが同時に過去の作品にも起きる、と。影響とは過去から現在に対してという方向性だけでなく、現在から過去へも遡行するのだと言っています。
(注:鴻巣は、「嵐が丘」を翻訳する前から「本格小説」を読み始めていて、翻訳中も同時進行で読んでいたという。そして、それがエリオットの言っていることの様に、翻訳した「嵐が丘」が「本格小説」から影響を受けたのではないかと言っているのである)
 
 また、二人の論議を読んで、
1)鴻巣はプロの翻訳家としてかなりの分量を短時間で訳さなければならないので、(狭い範囲の)前後の繋がりだけを重視して翻訳しており、その翻訳もいわゆる日本での「透明な翻訳」になっているのではないか
2)水村の場合は個人的に読んでいるので、全体を見て翻訳している。しかも彼女の専門はフランス文学であり、ラテン語系フランス語経由の借用が多い、観念的、抽象的な19世紀の英語の語句を訳すのは得意で、そういった面からも欧米における「透明な翻訳」になったのではないか
と思った。

 水村は12歳に渡米し、米国の大学院の仏文科の博士課程を修了。その後、三つの大学で講師、客員助教授、客員教授を歴任し、フランス語も英語もお手の物のようであるので、鴻巣よりも一日の長がある、と私は考える。

2015年5月16日土曜日

多和田葉子訳 カフカ作「変身(かわりみ)」

 多和田葉子翻訳のカフカ作「変身(かわりみ)」(文芸雑誌「すばる」5月号掲載)を読んだ。
 多和田葉子はドイツ在住で、ドイツ語と日本語で小説を書いている。もちろん、ドイツ語は堪能であり、彼女の小説が好きな私はどんな風に料理されているのか興味があった。と、言っても昔読んだ「変身(へんしん)」の内容は覚えていない。
 余談だが、確か新潮文庫か何かで緑色の表紙だったような気がする。今も所有している筈だが、本棚の下の方の段の奥の方に置いてあって見つける気もしない。
 この作品は有名で多くの人が読んでいるだろうから、私があらためて解説する必要もないだろうし、それだけの力も私にはない。

 外回りの営業マンであるグレゴールは、ある朝眼を覚ますと虫獣(多和田の訳に依れば、”生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫”)に姿が変わっている。そこから、妹、父母、会社の支配人、3人の間借り人、女中と繰り広げる日々の騒動をこの作品は描いている。最後にその虫獣が亡くなる事で父母、妹に平和が訪れるのであるが、一体にしてこの変身譚は何を意味し、何を目的に書かれたのであろうか?
 多和田は、グレゴールは「共同体のために自分を生け贄にし、過労死に向かっていたが、汚れた姿に変身することで自由になった。その代わり、家族や社会から見捨てられ、生き延びることができなくなったわけだ。」、と解説する。「共同体」とは会社や家庭のことを指すのだろう。

 また、「訳しながら、「引きこもり」とか「介護」についても考えざるを得なかった。」、とも書いている。そして、「機能すべき社会にとって異物、邪魔者になってしまった側の視点に読んでいる側がゆっくりと移行していけるような。そんな文体に翻訳してみたいという願いが生まれてきたが実現はできなかった。」、と結んでいる。
 多和田の訳は、特別な変身譚という事を感じさせないほど淡々としていて、スムーズに読む事ができた。これは、ひとえに彼女がドイツに住み、ドイツの文化・歴史を良く知っていて、ドイツ語の表現を良く理解している事から来る文章に依るものと感じた。

2015年3月28日土曜日

小畑峰太郎著「STAP細胞に群がった悪いヤツら」(新潮社、2014.11.25発行)


 昨年(2014年)は、STAP細胞論文の不正問題が社会、分けても科学界を揺るがした。しかし、理研は昨年12月、STAP細胞は存在せず、別の万能細胞であるES細胞の混入によるものだったと結論づけ、今月(2015年3月)に「対応」の終結を宣言した。そして、もっとも責任を負うべき野依理事長は引責辞任を否定しながら、月末には理研を去る。
 理研はどんな「対応」をしたのだろうか?「理研改革委員会」の提言に従って、研究・論文のチェック体制、組織運営やガバナンスのあり方について変更したのであろうが、果たしてそんな誰もが考える様な、どこの企業でもやるようなありきたりの改革で再発が防げるものであろうか?
 そもそも、今回の不正事件を誰と誰が、何のために起こしたのかが明確にならない以上、暫定的な対策は講じることはできるだろうが、本来の対策を見出すことはできないはずである。国を挙げて、この問題(事件)の本質について時間を掛けて解明しなければならないし、そうすることが今後の日本あるいは世界の科学のあるべき姿を見出すことになると思う。
 前置きはともかくとして、この本で著者は「科学者と科学を忘れた科学者、利権に集まる官僚、資金を集め、株で大きく儲けるベンチャー企業、その後に控える医療と化学を専門とする商社などの経済界。新たな国策産業化を目論む再生医療、バイオ産業分野に巣くう人々の錬金術の構図」に、目を向けて筆をとったらしい。だから、歯に衣を着せず、憶測と言われるのを畏れずに筆を進めていて、読むものを惹きつける。しかし、それらの憶測(推測)を裏付ける検証は若干乏しく乱暴な部分もある。それは、この著者が出版社出身のライターであることにも起因するのであろうが、発表媒体が「新潮45」ということもあるかも知れない。
 そういった問題はあるものの、再生医療を含めて先進科学がビジネスという”魔物”に取り込まれている事が、この事件の本質であることは理解できた。現在は、先進科学に限らず、あるかなきかの情報で”お金”が動く世界である。人はそれをビジネスと言う。しかし、ビジネスと言う呼び方は同じでも実と虚がある、という事を肝に銘じておかなければならない。もはや、科学といえども虚(”うわさ”)でお金が動くようになってしまったのは情けない。そういった場所から離れて仕事をするのは難しいだろうから、いかにそういった事に振り回されない構造を作り出さなければならないだろう
 最後に、この本が引用している、武田靖北大名誉教授の「小保方氏を擁護すれば、「技術者」ならば、それでも良いということだ。「なぜ」かが分からないとしても、確実に物が作れれば良いのであるから。」、という考えに注文を付けたい。技術といえども、「やったできた」では、良いものができない。「なぜ」そうなるのかが分からなければ、他の人(企業)の技術と差別化できないからだ。


*私が自動車会社で素材の研究開発をしている時に、共同開発していた車両関連の研究所の研究者は考案した構造を一年に一回テストし、それを良しとしていたせいか、われわれ素材の研究者が毎日違う実験をやるのを見て、不思議がり、化学はファジーで理解できないと言ったのを聞いた。だから、原子力に関する機械工学博士である武田氏には、ファジーな化学の世界は理解できず、化学や化学技術の進め方を誤解しているのだろうと思う

2015年3月3日火曜日

樋口陽一著「加藤周一と丸山眞男: 日本近代の〈知〉と〈個人〉」

 評論(批評)というものは、対象を解説し意見を述べることではなく、その人の依って立つところを基準にして対象を論じ、その人の考えを述べる事だという事に気づいたのは、そんなに遠い昔ではない。書評や映画、音楽、絵画などの評論は前者に近いものが多いので、そのように思ってしまっていたのだが、両者は似ているようで全然違う。その違いは、どちらの土俵で相撲を取っているかだ(その人の考えが、どれだけつまびらかにされているかの度合いが違うのだ)。勿論、この著作は後者である。
 樋口さん(本来は先生と呼ぶべきであるが、出身大学の先生であるので、親しく”さん”づけしたい。しかし、ここでは、以下、樋口とする)のこの著作は題名通り「加藤周一と丸山眞男」の考えも論じてはいるが、実際は副題にある「日本近代の<知>と<個人>」に関する(対する)憲法学者たる彼の考えを論じたものである。
 何を論じているのかは、“はじめにー何を、問題にするのか”を読めば良く分かる。この著作は、
加藤の考えを論じた<Ⅰ>“比較における「段階」と「型」ー加藤周一「雑種文化」論から何を読み取るか”、
丸山の考えを論じた<Ⅱ>“憲法学にとっての丸山眞男ー「弁証法的な全体主義」を考える”、
そして樋口の考えを論じた<Ⅲ>“「個人の尊厳」=「憲法」ー「外来」と「内在」の軋みの中で” の三章立てになっている。
<Ⅰ>では加藤の提起した「雑種文化」という考えと、加藤が「民主主義」というコトバに定義した「個人の尊厳と平等の原則の上に考えられる社会制度」の「個人の尊厳と平等」という考えに到った西欧の歴史を論じ、さらには加藤の終戦直後の姿勢と晩年の行動を論じる。
<Ⅱ>では、1936年という自分の考えをストレートに言うのが難しい時代に丸山が提起した「弁証法的全体主義」という考えと、近代における「個人」と「国家」の問題を論じる。
<Ⅲ>では、<Ⅰ>、<Ⅱ>を踏まえ、「個人」と「平等」、「近代化(=外来)」と「旧来の文化(=内在)」、「個人」と「国家」あるいは「公共」について近代立憲主義や民主主義の立場から論ずる。
 樋口は、<あとがき>で、今日本で起きている「憲法問題」に言及する。<はじめに>でも述べているのではあるが、樋口は”戦争への流れ”が再現することを憂えている。これらの動きは立憲主義を無視した流れである。憲法学者として、樋口はこの動きに対して声高に異を唱える(声高といっても冷静沈着である)。

 この本は、私の様な西欧の近代化の流れを良く理解していない人間にとっては、一度読めば充分に理解できるという内容ではない。今回は市の図書館から借りて読んだのだが、いずれ自分で購入し、再読しなければいけないだろうと思う。
 最後に、あとがきの前のページに加えられている加藤及び丸山に対する樋口のオマージュともいえる既発表の二つのエッセイを楽しく読んだことを書いておきたい。

 加えて、知識人というコトバの定義として引用されている「自分が持つ専門知識から出発して、人類全体に妥当する普遍的価値を擁護するために、一般的な政治・社会問題について発言・行動する人間」(石崎晴己執筆)を紹介しておきたい。